L→R 苣木寛之(Gu&Vo)、佐々木 周(Dr&Vo)、森山達也(Vo&Gu)、北里晃一(Ba&Vo)

L→R 苣木寛之(Gu&Vo)、佐々木 周(Dr&Vo)、森山達也(Vo&Gu)、北里晃一(Ba&Vo)

30何年もライヴをやっていても
今でも一本一本緊張する

THE MODSのデビューのきっかけになった、元Epic Sony Recordsの丸山茂雄さんとの出会いについてもうかがわせてください。

デビューが1981年だから、丸さん(丸山の愛称)と出会ったのは1980年だったと思います。『狂い咲きサンダーロード』という映画の話がアマチュア時代に来てデモテープを作ったんだけど、それが東京に出回って“THE MODSっていいじゃん”ってなったみたいで、レコード会社からしょっちゅう電話が来るようになったんですよ。それで何人か会ったんだけど、当時の俺は東京の人間はみんな嘘つきだと思っていたから、すげぇ反抗的な態度をとってしまったんだよね(笑)。真下さんっていうキャロルの元マネージャーが“一緒に何かできたらいいね”的な感じで丸さんを紹介してくれたんです。でも、ライヴを観たいって言ってくれたんだけど、俺たちのライヴの予定が入ってなくて。だから、80'sファクトリーってライヴハウスの大将に相談して、お客さんを入れずに丸さんたちのためだけにライヴをやったの。ライヴと言っても、数曲だったと思うけどね。それを観て“ぜひとも一緒にやりたい”的なことを言ってくれたんだけど、“考えておきます”って…あくまでも即決はしなかったですね(笑)。

当時の丸山さんはどのような人でした?

今とまったく変わらない。当時から少し白い髪で、やさしそうな目をしてたし、器が大きく感じた。俺が強気で言っても反発とかはしないでスーッと飲み込んでくれるというか。そういうお父さん的な感じは今と変わらないね。

THE MODSのどういうところを気にかけてくれていたのですか?

ロックと言えば当時はツッパリだったんだけど、“ツッパる以上にすごいメロディーを持っている。ツッパリなんていつかは終わるんだから”って。根本的なところを好きになってくれているから、この人なら信用できると思ったんですよね。

丸山さんと出会って1年でデビューするわけですね。

“デビューアルバムはロンドンで作りたい!”って言ったら、そのやんちゃさも認めてくれて(笑)。“どうせ予算を出すなら、ロンドンでもいいんじゃない?”って。まぁ、安いスタジオを探して、最後は日本でミックスしたけどね(笑)。でも、馬鹿なことかもしれないけど、夢があるよね。理解してくれる人がいるって、すごくいい会社だと思ったよ。最初は“契約金いらないから、ロンドンに行かせろ!”って言ったら、“お前らなんかに契約金はない!”って言われたけど(笑)。

(笑)。他によく覚えているエピソードは?

『夜のヒットスタジオ』っていうテレビ番組の話がたまたま来た時に、出るのはいいんだけど、出演者の歌リレーでアイドルの曲を歌わなきゃいけなくて。俺は絶対に嫌だったんだよ(笑)。しかもロンドンにいたんだけど、わざわざ衛星放送で中継してやるって。丸さんがフジテレビの人たちと俺たちの間で板挟みになって、前日にロンドンまで来て、“頼む、森山”って俺に頭を下げるわけよ。偉い人なのに。その時に“この人すごいな”って思ったね。“お前、やれよ”とか上から目線で言っていいのに、全然俺たちと同じ目線でさ。それで“分かったよ、いいよ”ってなって。俺たちのために走り回って細かいことまでしてくれて、本当に現場の人なんですよね。レコード会社の上の人ってライヴには来なかったりするのに、しょっちゅう現場に来てたし。そういう意味でも、『夜のヒットスタジオ』事件が大きかった(笑)。それからかな、今のような付き合いができるようになったのは。お互いに本音を言えるようになったというか。Epicを辞めた俺たちがスカーフェイスレコードを作って、それが解散した時、丸さんのアンティノスレコードに無条件で行けたのもそうだし。今の事務所のロッカホリックも丸さんが資本金を出してくれて…だからもう、俺は頭を上げられない。本当に東京の親父だと思えるよね。

なるほど。良い関係を築けていたのですね。

良い関係を築けたと思うよ。30何年もライヴをやっているけど、今でも一本一本緊張するし、ライヴの大事さっていうのを持っていたいと思っているのは、知らず知らずのうちに丸さんの純粋なところに影響を受けていたのかもしれないね。

OKMusic編集部

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