「いつもそこにライガーがいた」1月
5日東京ドーム観戦記

 生まれて初めて自分から買おうとしたCDは、『怒りの獣神』だった。
 確か平成という元号にも慣れだした1990年(平成2年)の正月明け、埼玉の田舎街の小さなレコード屋へお年玉を握りしめ走った。店番のおばちゃんに勇気を振り絞って「プロレスラーのライガーが使ってる登場曲が欲しいんですけど」なんて震える声で尋ねたら、一緒になって探してくれ「これじゃないの?」なんつって1枚のCDアルバムを差し出してきた。3000円前後して、高ぇ……とビビったがもうあとには引けない。小学生にとっての3000円は、大人になった今の8万円くらいの価値があった気がする。代金を払い、五段変速ギアのチャリをこいで帰り、兄貴のCDラジカセでドキドキしながら再生ボタンを押す。
 よしっ時は来た! っていや全然来ねぇ……。どういうわけかスピーカーから流れてきたのはアントニオ猪木やタイガー・ジェット・シンの登場曲オーケストラバージョンの数々である。なんじゃこりゃあ……。おばちゃん、どこにも『怒りの獣神』入ってねえよ。漠然とプロレス繋がりってだけじゃねえか。そう、インターネットもスマホもなかった当時はCD1枚買うのも鬼気迫るセメントマッチだった。もちろん返品を求める勇気なんてあるわけもない。この曲を弘妃由美が歌っていると知ったのはだいぶあとになってのことだ。俺らはある意味、獣神サンダー・ライガーから大人社会の厳しさを教わったのである。
 そしてあれから30年後、2020年1月5日のライガー引退試合を生観戦するため、マイ正装の柴田勝頼のTakeoverパーカーを着て東京ドームへ向かった。平成2年は原辰徳とザ・ブルーハーツ好きの小学生だった少年が、令和2年には王将の餃子と洗体エステが生きる希望の立派な中年男である。汚れちまった悲しみに、水道橋駅で限定販売のライガーが一面を飾る日刊スポーツ特別版を購入し、会場に着くなり列に並び、新日本プロレスファンクラブ来場者特典のライガー絵馬を無事貰った。
気が付けば、いつもそこにライガーがいた
 92年正月(メインイベントは長州力vs藤波辰爾のIWGPヘビー&グレーテスト18クラブ認定両選手権試合!)から始まり、毎年恒例のイッテンヨン大会だが今年は史上初の1月4日・5日の2日間開催。初日が4万8人、2日目は3万63人で計7万人以上の観客動員を記録した。会場では若い新規ファンや海外からのツーリストはもちろん、ラストライガーを見届けようと久々にイッテンヨンに足を運んだと思われる、LIGER THE FINAL Tシャツを着たオールドファンらしき客層も多かった。
 金曜夜8時のワールドプロレスリング、初代タイガーマスクに間に合わなかった世代にとって、マスクマンと言えば89年(平成元年)4月24日に東京ドームでデビューしたライガーだ。大学時代、時々流行りの総合格闘技やK-1に浮気しても、プロレスを見ればいつもそこにライガーがいた。社会に出て、色々経験して、あらゆるものは変わり、もしかしたら自分自身も変わってしまったかもしれないけど、ライガーは31年間変わらずそこにいたわけだ。感謝しかない。皆、そんな人生をワリカンしたヒーローにサヨナラを告げにきたのである。
 ラストマッチは懐かしの盟友・佐野直喜とタッグを組み、高橋ヒロムとリュウ・リーと対戦。ライガーは現代の新日ジュニア戦線でトップを張る彼らと戦い、最後はヒロムのタイムボムを食らい力尽きた。今思えば、3年前に出版された獣神サンダー・ライガー自伝(イースト・プレス)下巻で、「よく、昔からのファンの人に『ヒロム選手はライガー選手の若い頃に似てます』って言われたりするんですよ」なんて触れていて興味深い。
 その自伝は「僕はレジェンドってよばれるのがイヤなんですよ。いつまでも重要なのは“いま”であり“これから”なんで」という冒頭の一文から始まるが、まさにノスタルジーの中ではなく、徹底的に今を生きた男の引退試合にふさわしい内容だった。あの頃、死にたいくらいに欲しかった登場曲も今ならiTunesStoreにサクッと繋いで、わずか255円で購入できる。でも本当に令和2年の東京ドームの……いや闘強導夢のあの空間で大音量の『怒りの獣神』を聴けてよかったよ。
あれから8年後のオカダ・カズチカ
 さて、イッテンゴの興行自体も今と過去が詰まった戦いの福袋的なベストな内容だった。藤原喜明に拍手を送ったかと思えば、USヘビー級選手権のザック・セイバーJr.とSANADAの「頭から落とすだけがプロレスじゃねえ」的なクラシカルな攻防を楽しみ、棚橋弘至とクリス・ジェリコのスペシャルシングルマッチにプロレス界の時の流れを見る。
 昨年の1.4はメインイベントを勝利で飾るも、今年は5日にしか試合が組まれなかった棚橋は、満身創痍で確かに全盛期と比較したら動きは残酷なほどに落ちている。でも、ドームの花道に現れただけで爆発的な歓声が送られる存在感は健在だ。レスラーとしての格があり、華がある。96年のイッテンヨンでファイナルカウントダウン中のアントニオ猪木が、ビッグバン・ベイダーの投げっぱなしジャーマンでマットに突き刺さる姿は何よりも美しかったが、棚橋こそベルト戦線以外でも魅せられる「令和の猪木」に最も近い男ではないだろうか。
 メインイベントのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとIWGPインターコンチネンタル王者・内藤哲也のダブルタイトル戦は、35分37秒の激闘の果てに内藤が勝利。ヤングライオン時代、寮の同部屋で一緒にキャッチボールや釣りを楽しんだ5歳差のふたりが後年、東京ドームのメインイベントで戦うことになるのだから人生は分からない。
 正直、今の新日はオカダのひとり横綱状態である。すべてはオカダ中心に進んでいる。海外修行から帰国した8年前の1月4日、東京ドームで当時IWGPヘビー級王者の棚橋に挑戦表明をし大ブーイングを浴びたレイン・メーカーは、32歳にしていまや団体というか日本のプロレス界そのものにカネの雨を降らせる大黒柱となった。だからこそ、そのオカダとビッグマッチで戦える内藤や飯伏幸太のようなライバルの存在が重要になってくる。
人生に必要なことはプロレスから学んだ
 それにしても、内藤の会場人気は凄い。今となっては信じられないが、15年5月にメキシコへ飛び、ヒールターンして戻ってきた直後は、「トランキーロってなんだよ……」とか「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンって絶対分かりにくいでしょ……」なんてファンも冷めていたというか軽く引いていたのは事実だ。近年はV2を果たした雑誌Numberプロレス総選挙でも、15年の第1回は650票で12位と棚橋や中邑真輔はもちろん、後藤洋央紀や矢野通よりも下の順位だった。
 その崖っぷちから内藤哲也はひたすら自分を信じてL・I・J路線を継続し、地道に支持者を増やしていく。誰よりもグッズを売り、ときに会社の方針に噛み付きファンに訴えかけ、怪我を克服し、ついに30代後半で二冠王者に登り詰めた。周りがどう言おうと、嫌われようが笑われようが、なにごとも執念深くやり続けるというのは重要だ。とにかく心折れず賛否のリングに上がり続けること。5日のメイン後にリングに乱入して内藤を襲ったKENTAからも同じような断固たる決意を感じる。もうあとがない、だからやるしかないんだと。
 そうか、やっぱり俺らは大人になっても、人生に必要なことをプロレスから学んでいる気がする。
 さて、あっという間に正月休みも終わり、仕事も始まっちまった。とりあえず、今年の冬はジョン・モクスリーと鈴木みのるの一戦を楽しみに、寒さに負けず日々を生きることにするよ。

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