「愛知県芸術劇場」芸術監督・勅使川
原三郎の就任記念公演『白痴』上演レ
ポート

「愛知県芸術劇場」における初めての芸術監督として2020年4月に就任した、世界的に活躍するダンサーで振付家、演出家の勅使川原三郎。その就任記念シリーズ公演の第一弾が、去る7月17日~19日の3日間に渡り、同劇場小ホールにて開催された。当初は3月にも芸術監督就任記念プレ事業として、ダンス・コンサート『三つ折りの夜』(ダンサーの佐東利穂子、ヴァイオリニストの庄司紗矢香とのコラボレーション作品)を行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響により残念ながら中止となってしまった。以降、約4ヶ月に渡って大半の公演が中止や延期となり、奇しくも、もともと予定されていたこの就任記念シリーズ公演が自主事業再開の先陣を切ることとなった。
その第一弾『白痴』は、ロシアの文豪・ドストエフスキーの同名長編小説を題材として、勅使川原が構成・照明・衣装・選曲を手掛けたデュオダンス作品である。“世界で最高の恋愛小説”とも称される、複雑な人間関係や感情が渦巻く悲劇的な愛の顛末を、二人の主な登場人物とわずか1時間の身体表現に集約させた本作は、勅使川原率いる〈KARAS〉の活動拠点である東京・荻窪の「カラス アパラタス」で2016年に初演。その後もヨーロッパ各国などで上演を重ねて好評を博し、2019年には作者ゆかりのロシア・サンクトペテルブルクで毎年開催される国際芸術祭《DIAGHILEV.P.S》にも参加。その年の最も特出したアーティストに贈られる【ETONNE-MOI!】賞を受賞している。今回の上演にあたっては、勅使川原から下記のメッセージが届けられた。
【勅使川原三郎からのメッセージ】
原作はドストエフスキーの「白痴」。
この長編小説から私は、ムイシュキン公爵と貴婦人ナスターシャという男女の間にひそむ不可能な愛に焦点をあてました。
精神があまりに純粋であるが故のはかなさと過剰さを内容の基盤に、互いに抱く愛情への葛藤がつづく。
未解決のすれ違いは、決定的な孤立へ向かい愛情はより高まる。その孤立は人間の本来の姿なのかもしれない。
このダンス作品によって現れる世界は、文化や時代背景を超えて「今、ここ」でもありつづける葛藤であると私は考えます。
揺れ動く内面を抽象的に、あるいは象徴的に展開する身体の詩的表現といっていいでしょう。
ダンスだからこそ可能な「白痴」の舞台化であります。
勅使川原三郎 芸術監督就任記念シリーズ『白痴』 2020年7月上演より/愛知県芸術劇場 小ホール (c)Naoshi Hatori
舞台は、暗闇に灯る薄明かりの中、誇り高き美女ナスターシャ(佐東利穂子)のシルエットが浮かび上がる幻燈のようなシーンから始まる。暗転と共に女の姿が消え、明転すると、独り佇んでいたムイシュキン公爵(勅使川原三郎)が静かに踊り始める。彼を上から照らすピンスポットの明かりは、ガス燈やキャンドルの炎のごとく絶えずゆらゆらと揺らめいている。夜会のシーンでは、チャイコフスキーの「ラリーナ・ワルツ」が流れる中、ナスターシャが漆黒のドレスの裾を翻しながら優美なダンスを披露し、それに見とれるムイシュキンも踊りだすが、二人は触れ合えそうで触れ合えず、その距離は縮まりそうで縮まらない。ナスターシャがターンするたび、光沢を帯びたシルクサテンのようなスカート部分がたっぷりと空気をはらんでドレープを描く様も、実に美しく印象的だった。
音楽の高まりと共に女が下手へ去っていくと、残された男は傀儡のような動きを始める。ムイシュキンの持病・てんかんを思わせる、細かく激しく痙攣する手指の動きに先導されるように、彼の全身もまた躍動し続ける。時に滑稽にも見えるムイシュキンを嘲笑するような、笑い袋のような声がノイズ混じりの音楽に重なってこだまする。続くナスターシャのソロでは、スローモーションで水中を漂っているような神秘的なダンスを展開。佐東扮するナスターシャは、終始一貫して気高く魅惑的で謎めいた、孤高の人物として存在していた。
勅使川原三郎 芸術監督就任記念シリーズ『白痴』 2020年7月上演より/愛知県芸術劇場 小ホール (c)Naoshi Hatori
全編を通してとりわけ深く心に残ったのは、ムイシュキンとナスターシャが、ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲 第2番」にのせてワルツを踊る中盤のシーンだ。ここでも二人は寄り添うことなく別々に踊り続けるのだが、徐々に惹かれ合う両者の心情を表すように動作がシンクロし始め、ダイナミックに変化していく。クライマックスを迎えた音楽と共に繰り広げられる渾身のダンスに魅了されていると、いつしか楽曲が二重にずれて流れ始め、不協和音を生み出し、やがてナスターシャは去っていく。
再び独り残されたムイシュキンのソロでは、ジャケットを脱いで白シャツになり、そのボタンをゆっくりと外して胸をはだけ、エロティシズムを漂わせる場面も。また、丁寧にたたんで床に置いたジャケットを再び着ようとするも、なかなか着ることが出来ない様をダンスの振りに落とし込むことで、無垢すぎるが故に「白痴」と呼ばれたムイシュキンの特異なパーソナリティーや、彼が抱える愛の葛藤を巧みに表しているように感じた。
言葉を用いず、幕開きから終幕まで絶えずほのかに明滅し続ける明かりの中で展開された一連の出来事は、まるで古いサイレント映画を観ているようでもあり、計算された闇と光の絶妙な配分は作品世界に深い奥行きをもたらしていた。装置や美術を削ぎ落として視覚情報を限定し、衣装、音楽、照明効果に特化して細やかな工夫を凝らした構成も、勅使川原と佐東の身体から醸し出される豊かな情感や心の機微をより際立たせ、ムイシュキンとナスターシャがたどった運命の結末に、思わず涙が溢れた。
〈勅使川原三郎 芸術監督就任記念シリーズ〉は、このあと12月に第2弾、2021年2月には第3弾と続く予定でこちらも要注目だが、この『白痴』は、任期中に再度の上演を望みたいと思える傑作舞台だった。
勅使川原三郎 芸術監督就任記念シリーズ『白痴』 2020年7月上演より/愛知県芸術劇場 小ホール (c)Naoshi Hatori
取材・文=望月勝美

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