ヒグチアイ インタビュー キャリア
の6年間を凝縮した初のベストアルバ
ムから紐解く、ヒグチアイの冷静さと
やさしさ

2014年のインディーズデビュー作『三十万人』から現在に至るまで、キャリアの6年間を凝縮した初のベストアルバム『樋口愛』を9月2日にリリースするヒグチアイ。リレコーディングされたライブ鉄板曲や新曲2曲も収録された今作をもとに、“表現するべくして生まれてきた”ヒグチアイを紐解く。
――ヒグチさんにとって、初のベストアルバムとなる『樋口愛』。耳に心地よいアルトボイス、情感豊かに語るピアノはあまりにエモーショナルで、もがきや痛み、切なさ、理想、憧れ、希望、純粋さなど、自分の人生に重ねてさまざまな感情や記憶があふれ出してしまう作品です。
そういうふうに感じてもらえるように曲を書いているような気もするので、とてもうれしいです。それだけに、苦しくなっちゃうから聴きたくないって思う人もいるんだろうな……とは思うんですけど。
――恋愛や人生について思い悩んでいたりとか、置かれている状況によっては、確かに深く刺さりすぎる言葉もあるかもしれません。聴き手としてとても揺さぶられる音、言葉を紡いでいくのって、しんどいことではないのでしょうか。
それがですね、しんどくないんですよ。人と話すときでも、自分のことをしゃべっちゃいけないラインのハードルがかなり低いんですけど、それが曲にも出ているのかなって思いますね。
――たとえば、「備忘録」の赤裸々な歌詞はまるでヒグチさんの半生を見るようで、衝撃的ですらありました。
あれは……だいぶいろいろ書いていましたよね(笑)。でも、そのときどきはしんどかったことも、時間が経って自分の中で言葉がまとまったら、それについて歌うこと、話すことにはなんの抵抗もないんですよ。
――言葉にすることで、自らが救われたり、傷ついた自分が成仏できるという側面もあったりして?
それはあります。というか、苦しんでいる渦中に曲ができることもまれにあるんですけど、基本的には成仏できるっていうときにしか曲が書けないんですよ。
――だからですかね、どんな迷いや葛藤、苦しみを描いていても、ある意味俯瞰的で冷静だなとも感じます。
あまり情熱的な人間ではないからなのか……以前も、恋人とめちゃくちゃケンカしたとき、ちょうど春の嵐で外は大荒れ、隣ではさっきまで大モメしていた恋人が寝ているという状況でも、どこか冷静だったんですよね。どこからその痛みがきて、なにがイヤなのか、どうして涙が出るのかっていうことを泣きながらも全部言葉にして、携帯にメモしていました。どんなに苦しくても、どんなに怒りに震えていても、“やった、曲ができる!”って思っちゃう自分がどこかにいたりもするんです。いやぁ、性格悪いですよね(笑)。
――いえいえ、本当に性格が悪い人は決して自分で「性格が悪い」とは言わないですよ! どんなときも自らに向き合い、心の内をさらけ出して音や言葉に託すことができるヒグチさんは、やはり表現するべくして生まれてきた人なのでしょう。
感情的になれる人でいたかったと自分では思うし、周りのミュージシャンを見ても、感情の瞬発力がある人への憧れがどうしてもあって。ライブのときでさえ冷静な自分がいるって弱みだなって感じたりもするんですけどね。それをプラスにとらえられたらいいし……「表現するべくして生まれてきた」という言葉は、ありがたくいただいておこうと思います。
――音楽的な才能だけじゃなくて、文才まであるわけで。
お褒めの言葉をたくさんいただけて、本当にうれしい(笑)。でも、欲しいものはいっぱいありますよ。まず、兄と妹にはさまれている私としては、末っ子になりたかったんですよ。
――妹さんは、一緒にステージに立たれるひぐちけいさんですよね。
そうですそうです。昔は兄と妹がめちゃめちゃ仲が悪かったということもあって、真ん中の私はずっとバランスをとっていて。
――中間管理職のような(笑)。
まさにそれ!(笑) どっちの機嫌もとらなきゃいけないですからね。そのおかげで、いつでもどこか冷静な人間になったんじゃないかっていう気もしますもん。わがままを言って、泣いて、甘え上手な末っ子になりたかった、というのが決して叶わない願いです。
――でも、真ん中っ子ならではの観察眼は、文章を書くにしても絶対に役立っているはずで。ベスト盤のブックレットに収録の、楽曲それぞれの世界観を広げる『小説樋口愛』にも、心奪われてしまいます。
読んでいただけたんですね、ありがとうございます。
――中でも私がグっときてしまったのは、「わたしのしあわせ」の小説。なんて切な温かいんだ!って。
好きなんですよね、切な温かい話が。
――そういう人だ、ということが文章からダダ漏れです。読みながら胸が苦しくなったり、やるせなかったりしても、最後には心にポっと温かな火が灯るっていう。それは、ヒグチさんがしたためたほかの曲の小説、多くの歌詞にしても然り、なんですけど。
小さくても温かな火、希望がないと、絶対に私は生きていけないので。100%の悪人なんていないはず、どんな人にもいいところ、やさしいところがあるって私は信じて言葉を紡いでいきたいんです。そういう私の音楽が、誰かの救いになったら……って言ったら大げさなんですけど。少しでも心を温められるようなものになれれば、自分が音楽を生み出すことに意味があるのかなって思います。
――救いになりますよ。「ラジオ体操」の<生きただけでもらえるハンコ よくがんばりましたって押してあげるよ>というフレーズも、泣くほどうれしかったですから。
「ラジオ体操」はやさしい曲ですよね、自分で言うのもなんですけど(笑)。ちゃんとご飯を食べる、洗い物をする、お風呂に入る、それだけですごいんだよって。大人になると誰も褒めてくれないようなことだけど、私は褒めてあげたい。
――ありがたいです(笑)。なお、『樋口愛』は、“シングル曲やヒット曲を集めたありがちなベスト盤”と一線を画す、ライブや人生ドラマそのものを想像できる起伏に富んだ作品でもありますが、選曲や収録順の意図というのは?
まさに、ライブ感や感情の起伏は気にしたところです。普通だったら、ゆっくりな曲をこんなに並べないな、速い曲をここでいきなり2曲続けないなとか思うんですけど……。
――「八月」と「黒い影」の流れ、攻めていますよね。
そうそう。ここ、そんなにたたみかけるんだ?みたいな(笑)。もともとは、“東京”をテーマに、「東京」で始まり「東京にて」で終わろうかと思っていたんですね。でも、「東京」は長野から上京して3年目くらいのときに、東京で暮らすことへの疑問とか、その先のことを考えて作った曲なので、始まりの曲ではないなと。「東京」でうまくいかなくなって、「まっすぐ」をきっかけに自分の幸せを見つけて、その後もまた悩んだり……そういう感情の流れを作って、それぞれの新しい聴き方を提示したかったんです。
――まさに、ヒグチさんの思惑通りとなっています。その中で、「ココロジェリーフィッシュ」「まっすぐ」「黒い影」はリレコーディングされていて。
正直に言うと、過去の歌い方とアレンジに納得がいっていなかった3曲なんです。これかもしれないという形がライブを重ねていくうちに見つかったので、もう一度聴いてもらいたいなと思って録り直しました。
――「ココロジェリーフィッシュ」「まっすぐ」は、ドラマー・伊藤大地さん、ベーシスト・御供信弘さん、ギタリストであり実妹のひぐちけいさんという、ライブでおなじみのメンバーと共にレコーディングされたのですよね。
そうです。おかげで、ようやく自分の中でしっくりくるものを音源にできました。新しく聴いてくれる人だけじゃなく、ずっと聴いてきてくれている人にも楽しんでもらえるんじゃないかなって。
――あふれるやさしさ!
やっぱり、やさしさは忘れたくないですね。
――そのやさしさは、ヒグチさんの書く歌詞のそこかしこににじんでいます。
いろいろな人に出会って、自分も人のことを傷つけるし、向こうも傷つけてくるし、裏切り裏切られっていうこともあった中で、人の悪いところだけじゃなく、いいところも見つけたいと思って生きてきたから……そういう歌詞になるんですかね。
――<正しいかどうかなんて必要じゃない ずっと味方でいたいだけ>と歌う「まっすぐ」にしても、泣けてきます。
インディーズでの2ndアルバム『全員優勝』の中で、一番やさしい曲です。やさしければ人がそばにいてくれるかって言ったら全然そんなことはないんですけど(苦笑)。
――むしろ、そのやさしさを利用されてしまうこともあったり。
そうなんですよね。でも、人が離れていってしまったことに対して自分がダメだったからだと思うのはすごくイヤで、その度にやさしくならなきゃなって思い続けて。そういう時期に生まれたのが、「まっすぐ」でした。
――悪態をついたっていいのに……。
そうする勇気もないというか。それに、その人のことを信頼していれば、その人のせいだ!って言えるんですけどね。そもそも信頼していないから自分が悪いんだって思ってしまって。どれくらいのバランスがちょうどいいのかわからないまま、今に至っています(苦笑)。
――そういうヒグチさんだからこその、やさしさ、温かさに、つい寄りかかってしまいたくなります。いっぽう、「黒い影」は、ピアノを弾くヒグチさん、ベーシスト・山崎英明さん、ドラマー・刄田綴色さんという“最強スリーピース”による演奏が鬼かっこよくて。
“最強スリーピース”って自分たちで言っちゃっていいんですか?って思いつつ(笑)。ライブでも多く共演しているし、この3人で作り上げてきたアレンジで、一番バンドっぽい曲になりました。インディーズ1stアルバム『三十万人』に収録したオリジナルにはなかったソロ回しは、3人でがっつり作り込みまして。ライブに行きたいなって思ってもらえたらうれしい限りです。
――歌詞には、自分ともうひとりの自分の葛藤が描かれているのかなと感じたのですが……。
なるほど、確かにそうも読み取れるかもしれませんね。この歌詞、人によっては不倫を重ねたりもするみたいなんですけど、実は妹とケンカをしたときの話なんですよ。小学生のころ、妹にとられた私の抱き枕を奪い返したはずみで、抱き枕が妹の鼻に当たってしまって。「抱き枕に鼻血がついちゃった!」って私がすごく怒ったら、妹が泣いてしまったんですね。当然、私は母に叱られて、「でも、傷つけたくてやったわけじゃない」って反論したら、「わざとじゃなくても、謝らないといけないことはあるんだよ」って言われて。謝らないといけないのにずっとできなくて、本当の自分はどうなんだっていう葛藤なんです、「黒い影」は。ちなみに、お互い大人になった今は、ケンカすることもないし、ステージにも一緒に立つし、めちゃめちゃ仲がいいということは言っておきたいです(笑)。
――安心しました(笑)。さらに、『樋口愛』には新曲も2曲収録されています。8月19日に先行配信された「八月」は、ヒグチさんのピアノ、宮田'レフティ'リョウさんのベース、柏倉隆史さんのドラムが絡み合う、スリリングなロックナンバーで。
お気に入りのメンバーで、ライブで映えるもの、かっこいい曲をやりたい!と思って。もともとポストロックが好きだということもあって、変拍子に挑戦してみました。
――<溢れ出したコップの水に 二人溺れたの> <孤独に喰われた 未熟な生き物> <これが愛なの?教えてほしい>というフレーズはじめ、歌詞にドキっとする人も多いはずです。
いくつか恋愛を経験してきた大人なら、きっとわかるだろうなっていう。言われたくないひと言でも、許せる瞬間ってあるじゃないですか。でも、積み重なっていけば溢れ出してしまうっていうあれ、どうにかならないですかね(苦笑)。
――離れるべきなんでしょうけど、大人になるほどその決断は難しいかもしれません。
そうなんですよね。昔は好きか嫌いかでよかったけど、大人になると一緒にいる理由もさまざまで、感情以外の要素も大事になるし。
――好きよりもラクを選んだりとか。
それゆえ物足りなくなったり、寂しくなったり……でも30歳前後だと、まだ結婚していなかったり、子どもがいなかったりする人も多いだろうから、別れるか別れないか、選べる時期なんじゃないかなっていう。なんにせよ、自分を犠牲にすることなく過ごしてほしいので。「八月」という曲が誰かの決断のきっかけになったらいいなとも思います。

――そして、8月5日に先行配信された「東京にて」は、その余韻にいつまでも浸ってしまうナンバーなんですが……東京も、世界も、昨年の11月にヒグチさんがこの曲を書いたときには想像もしなかった事態に見舞われてしまいました。
本当に。憧れた東京に12年とか住んで、30歳になったタイミングで、東京に対しての気持ちをもう一度書いたんですけど、まさかオリンピックが延期になって、世の中もこんなに変わってしまうとは思いもしなかったですから。自分が思い描いていた世界でこの曲を聴いてもらうことは、もうないんだよなぁって。
――だとしたら、歌詞にあるように<新しい答え>を作っていけばいい。いちリスナーとして、そうも思える曲です。ちなみに、「東京」を書いてから約6年、ヒグチさんの中での“東京観”に変化はありますか。
変わりました。自分にとって東京は、小中学生のころから憧れの場所で、絶対に出ていくと決めていて。実際に上京してみると、これが東京か!という感動があって、でもその中で紛れていってしまいそうだなと思いながら書いたのが「東京」だったんです。そこから、きらびやかな光の当たらないところでも人がたくさん生きて、音楽を鳴らしていて、そこでのトップになればいいと思っていたのがインディーズ時代だったんですけど……それって諦めなんじゃないか?って気づいて、よりたくさんの人に聴いてもらうことを考えてもがいてっていうアップダウンを繰り返す中で、ようやく自分の居場所みたいなものをいったん見つけたんですよね。でも、どんどん変わっていく東京で、その居場所にとどまっておくことはできない、じゃあどこに向かおうっていう。
――でも、どうなろうと東京で生きていく、東京で歌い続けていくという決意があるんですよね。
そうですね。人の多い東京は、地域の濃密なコミュニティが苦手な私にとってすごく生きやすい場所だし。自分という存在を認めてもらいたくて、でもなかなかその願いが叶わなくて苦しんだ時期もありますけど、やっぱり大好きですなんです、東京が。だから、私はこれからも東京で歌い続けていきます。

――さて、9月22日には『HIGUCHIAI band one-man “BEST” tour 本人』と題したフルバンド編成でのライブが、東京・Veats Shibuyaが行われる予定です。
大阪と長野での公演は中止になってしまったんですけど。東京公演だけは、感染防止対策をした上で開催して生配信もしたいなと。でもやっぱり、同じ空間にいてその時間を“奪える”のってうれしいんですよね。
――観る側としても、会場に足を運んで、ドキドキする中で場内が暗くなって……やっぱり、生のライブは没入できますから。
ライブだったり映画だったり、家で手軽に観られるのは便利なんですけどね、やっぱり期待感を持った人が集う会場ならではの空気感や高揚感を味わいたいっていう。いつか、また会場にたくさんの人に来ていただいて歌える日が来るといいなと心から願います。
――同じくです。コロナ禍を経て、世の中もエンターテインメントの在り方も変容した今。これからについて思うこともあるのでしょうか。
なんのために働くのか、なんのために生きているのか。忙しい日々の中でもそういうことに向き合って、考える脳の筋力みたいなものは、ちゃんと保ち続けないといけないと思うんですよね。それが、“幸せ”にもつながっていくわけですから。私はこれからも自分のために時間を使っていきたいし、今日はなにを食べようか、どんな服を着ようか、そういう些細なことも含めて、みんなにも考えること、選んでいくことをやめないでほしいなって思います。

取材・文=杉江優花

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