NulbarichがVaundy、n-buna(ヨルシ
カ)とのトライアングルで拓いたニュ
ーフェーズを語る

Nulbarichがニューシングル「ASH feat. Vaundy」を10月28日にリリースする。Nulbarich名義としてはキャリア初のコラボレーションを行ったことそのものより、タッグを組んだ相手に意表を突かれたリスナーが多かったのではないだろうか。そして完成した楽曲も、フックであるサビはVaundyの特徴的な歌唱が際立ち、n-bunaが手掛けたリミックスはヨルシカの手法にも通じるカットアップやアレンジが印象的。これは文字通りのコラボレーションだ。今回のインタビューでは、デジタルシングル「ASH feat. Vaundy」 、そして「ASH feat. Vaundy(n-buna from ヨルシカ Remix)」に至る経緯をはじめ、2020年から拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移したJQに、コロナ禍における現地での生活やそこで遭遇した出来事についてもじっくり話してもらった。
Black Lives Matterのプロテストもあって。音楽だったりアートが生まれてきた理由みたいなところに立たせてもらった。
――昨年のさいたまスーパーアリーナ公演以降、どういう日々を過ごしていたんですか?
もともと今年頭からロスに生活の拠点を移すのが決まってたので、日本には音楽をやる時以外は戻らない予定だったんです。作る場所とか環境が変わって、いろんなものの刺激はたくさんあったので、いろんなことをインプットできたから制作は捗っていたんですよ。でも世界的にコロナが流行って、アメリカも結構酷かった時期もあって、街もロックダウンしてたし、外に出られなかったので家にいるしかないっていう。そういう中でも、もともとそんなにアクティブなタイプではないんで、全然苦痛じゃなくて。ノンストレスでずっと曲を作ってたって感じですね。
――ニューヨークの大変さはニュースなどで伝わってきてはいましたが、ロスはいかがでしたか?
たぶん感染者数はLAが1位なんですよね。初期に一番流行ったのはニューヨークで、その後、爆発的に増えちゃったんです。Black Lives Matterのプロテストもあって。街が普段の様子に戻ってくる前に一時帰国してるので、まだデフォルトのLAを見てないところもあるんですよね。そもそもは5月ぐらいからちょくちょく日本に帰国して、ライブしながら行ったり来たりする予定だったのが、ずっと……。
――簡単に帰れないですからね。
そうなんですよね。意外と僕自身はなんともないっちゃなんともない。でも世の中のモードだったり、常識みたいな部分が新たなフェーズに向かっていっているのを目の当たりにしてる感じです。それこそ配信ライブとかもそうですけど、ワクワクしつつ、今の制限された状態にいるっていう。
――そんな中、「LUCK」を7月にデジタルリリースして。
向こうで初めて作った曲ですね。もちろんインプットするものも出るものも変わってくるんですけど、ちょうどコロナではあったので……ちょっと自分をピースな気持ちにするための曲というか。今回の曲(「ASH feat. Vaundy」& 「ASH feat. Vaundy(n-buna from ヨルシカ Remix)」)もそうなんですけど。もともとNulbarichはピースな曲が多かったんですけど、書いてる側の気持ちっていうのは変わってきたというか。ほんとに願っている気持ちが強かったので。日本にいても、今回のことっていろんな制御をさせられて大変だったと思うんですけど、僕も向こうの生活で体験して。
――具体的には?
プロテストで暴動が起きちゃうと、何時以降は外出禁止になって、出ると捕まっちゃう、みたいな。あとは目の前で車が燃えてたり、ゴム弾を発砲していたり。次の日に外に出てみたら街の中が大変なことになっていて……。それを目の当たりにした時に、今まで当たり前だったのが当たり前じゃないんだなと思って。そう考えた時に、なんていうのかな……幸せでいたい……そういう思いは、今までは割と“あえて苦しまなくてよくない?”っていうテンションでいたというか。“いろいろあるけど結局楽しいはずだから”みたいな部分があったんですけど、そうじゃない時もあるなっていうのを今回は肌で感じたので。平和に平穏に生きていくことが大切なことっていうのを、身に染みて感じた上で曲を書いているので、そういうことを直接言ってなくても、歌詞のアプローチは変わってきたというか。平和を願う、ピースなことを吐き出す角度っていうのは、振り返ると変わってるなという気はします。
――日本では暴動は起きていませんがSNSは荒れ放題だし、潜んでいた負の感情が、より表に出てきた実感はあります。
改めて、音楽だったりアートが生まれてきた理由みたいなところに立たせてもらったというか。これを貴重な経験とは言ってはいけないと思うんですけど、でもアーティストとしてはこういうところからアートが生まれてきたんだなっていう原点を見せてもらったというか。マーヴィン・ゲイの「What’ s Going On」じゃないですけど、戦争があって、それを止めたい曲だったり、ボブ・マーリィもそうですけど。いわゆる心の嘆きみたいなところからアートが生まれるっていうことをちゃんと見られたのかなって気がしていて。人種差別から生まれた音楽があったり。果たしてそれを僕らがブラックミュージックって呼んでいいのか?みたいな部分ももう一回考え直させられるっていうか。アーバンっていうジャンルが無くなったとか(※アメリカのレコードレーベル“リパブリック”の宣言に続き、グラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーも追随)。もしかすると僕たちがかっこいいと思っていたその世界の中にいた人たちは死ぬ気でやっているだけで、憧れてそこの音楽を聴きに行った自分ってどうなんだ?みたいな部分も掘り下げるとすごく複雑な気持ちにはなりましたね。
――影響のされ方とかですか。
そう。じゃあ一人のアジア人としてどういう風にマインドセットしていくのがベストなのかなぁ?とか。いろいろ考えているんですけど、もうこれは答えが見つからないことだとは思うので、持てるだけのラブを音楽に落とし込むっていうことしか、たぶん僕はできない。自分をこの道に進めてくれたのもそういうカルチャーだったりしたので、なんかほっとけなかったというか。このタイミングでそこにいさせられた運命みたいな部分も、自分の中でなんとなく受け入れたところもありましたね。
――東京にいたらそういう面では立ち止まりはしなかったでしょうね。
歴史としてそういうのがあって、こういうカルチャーがあって、こんなかっこいい曲が生まれたっていう事実は知っているんですけど、片鱗みたいなものを肌で感じた部分があったので。だからこそこんなにパワーがあるんだな、あそこの出身の曲たち、っていうのは改めて感じて。嘆きのパワーの違いっていうか。思いがないと、やっぱり曲ってパワーが強くなっていかないものなんだなというか、改めてアートの深さってものに触れられて。もう、ほんと考える時間しかなかったし、気を紛らわす時間がなかったというか。だから自分の考え方や、いろんなことの問題点も含めて考える時間にはなりましたね。
――そういう体験をすると曲作りで考え込んでしまいませんか?
曲を作るときは割と設計図を作らないタイプではあって。なんとなく導かれるままに打っていって、蓋を開けたらそうなった、みたいなのが多いので、曲を作るときは“無”なんですよね。だから、作るまでに何を考えてるか、何を聴くか、みたいなのを重要視してはいるので、全然違うものが生まれてきたりするんですけど。そもそも僕らの場合、音楽を作る時にこの曲で何を落とし込みたいかとか、緻密に計算して出来上がってる作品ではないので。行き当たりばったりで、その時に考えてることっていうのがなんとなく出る。で、それがどう表現されているかも自分ではなんとなく理解できてないような状態ではあるので、今回のもこういうことが起きたから、じゃあこういう曲を書こう、みたいにはならないっていうか。それをやると自分の中で一番薄っぺらくなっちゃうので、そこは消化できない感情を作品に落とし込んでおく、みたいな感じではあるんです。
3人でこのパッケージが作れた感じはします。それぞれの世界が3つちゃんとある、いいコラボレーションになったと思います。
――設計図を描かずに作ったということも意外なんですが、このコラボレーション自体がまず意外で。何から始まったんですか?
そうなりますよね(笑)。僕が向こうに行って、ライブもしばらくできないかもしれないとなった時に、日本との接点みたいな部分が自分の中ではどこかにあったのかな。そろそろコラボレーションしてみようか、という流れになって。今まで自分たちの名義っていうか、自分たちが出す作品の中で誰かをフィーチャリングすることがなかったので。でも、もうそろそろいいんじゃない?みたいな。フィーチャリングが嫌なわけではなくて、やっぱりデビューして、ある程度、自分たちを確立してからじゃないとっていうのもあったし。僕たちっていうものを見失いたくない、みたいな部分があったので、そこに関しては孤高でやってきたというか。自分たちの自信をつけるための4年だったのかなっていう。で、ある程度自分たちの中で次のフェーズに向き合ってるタイミングなんだったらっていうので、コラボレーションとかアリかもね、ってなって。で、誰がいい?ってところで“Vaundy!”みたいな(笑)。
――それはいつ頃ですか?
それこそ「東京フラッシュ」を知った時じゃないかな。スタッフとか友達と話すタイミングでしか日本の情報は入ってきてなかったんですよ。あんまり音楽業界とか近いところの情報は積極的には入れてなくて、むしろ新しいものを摂りにLAにいってたので。だから日本にいる時との差はそこかなと思う。今の世の中、自分から手を伸ばせば情報は手に入るけど、自然に入ってくるものはだいぶ削ぎ落とされちゃったので。そういう部分で言うと、聴いていた中で“イケてるよね!”、“いけるかな?”(笑)、みたいになって。
――何がピンときたんですか?
ピンときたと言うよりは、基本的にセルフプロデュースできる人、自分で曲を作れるっていうのと自分で歌うっていう。いわゆる自分でできる人っていうのは、割と僕もそこなので、話合うかなっていう。彼と話してみたいなっていうのが一番大きかったんです。そこでダメ元でオファーしたら、彼自身、昨年末の僕達のさいたまスーパーアリーナに来てくれていたりとか、“Nulbarich聴いてました!”っていう感じだったので、快く引き受けてくれて。そこからはもう、僕はLAにいてロックダウン中だったので、最初はZoomで挨拶して。後はごちゃごちゃ喋ってもアレなんで、データのやり取りで、思ったことを音楽でぶつけ合っていく感じにしようか、と。で、何回かやりとりしてできたって感じなので、ほんとに音で会話ができたんですね。逆にお互いの育ってきた環境とか、歳とか、そういういわゆるバリアー部分が全部ない状態でぶつかれた。曲ができてからは、もういろんなものを取っ払って、ご飯とか行けるような感じにはなったんですよ。それがこの曲がうまくいった一番の証かなって。
――何かテーマなり、JQさんからデモを提示する形で作ったんですか?
最初、ラフを“こんな感じでできたのがあるから一回聴いてみて”っていうのを送って。フィーチャリングになってますけど、割と普通に共作してるんです。だから“メロ乗せて”って言ったのに、Vaundyくんからトラックも全然変わって返ってきて、“おお、こう来たか”って感じになって。じゃあ、こういう風にそこの曲のいいところをピックして、こっちでもう一回、それをやり直す、みたいな。だから3曲ぐらい違う曲ができてるんです。でも大元はその曲を聴いて、自分だったらこうしたいっていう投げ合いができたので、少なからずその曲を経過してることは事実で。それこそ歌詞の方向性とかも、“楽しけりゃいいよね”みたいな話しか最初してなくて。で、Vaundyくんが、サビの《灰にして》っていうリリックをもとに色々広げて書いてきてくれたんですけど、僕がその《灰にして》って部分をピックして、また別曲を作ってという感じだったので。お互いに“俺だったらこうするかな”っていう、やり取りがあって。
――よく収拾がつきましたね。
そうですね。でも結局、本気でぶつかったからできたっていうのはありますね。スポーツとかと違って、音楽は勝敗が出ないので。
――勝敗が出たら共作の意味がない?
そうなんです。やってた中で本気でぶつかったから気持ちよくハグできる、じゃないですけど。それに尽きるかもしれないですね。
――Vaundyさんもヨルシカのn-bunaさんも、日本の歌い手やボカロP文化を背景に持っているアーティストで。今回のコラボにその文化の成熟を感じました。
むしろそれがスタンダードになってきている感じはありますよね。ニュースタンダードが確立してきてる。そのシステムがもう当たり前になってきてて、そういう人たちが時代の最先端にいるタイミングでもある。なんか視点が全然違うから、僕はそれを俯瞰で見ているとすげえ楽しくて。それこそn-bunaくんも初コラボすることになったのは、ヨルシカの歌詞が好きで。絶対自分では書けないので。僕にはないものを持っていたり、“うわ、なんか刺さるな”みたいのがあったからなんですけど。
――彼のインタビューを読んでいると、賢くて。作品を建て付けから考えてるじゃないですか。で、世の中にオリジナルなんてないって前提で作っているし。
彼はすごく頭がいいというか、超クレバーというか。刺があるんですけど、その本質みたいな部分を考えさせられる歌詞が多いというか。言い切ってくれるからこそ、“あ、でもそうかもな”みたいなところにリードしてくれる曲がヨルシカのいいところで。僕、圧倒的に昨今では、ヨルシカの歌詞が一番好きかもしれないですね。で、話してると“なるほどねぇ”みたいな部分が多いので、楽しかったですね。
――そういうクリエイターにリミックスを依頼するというのも珍しいのかな、と。
もう、やりたかっただけなんでしょうね(笑)。僕たちの楽曲を彼がどういう目線で捉えて、どういう風に料理をしてくれるのかっていうのは一番興味があった部分ではあったし。たぶん、一番最初にタッチするときに一番やりやすいのはリミックスかなぁと僕は思ったので。“Nulbarichの歌詞を書いて”っていうのも変じゃないですか。
――確かに(笑)。n-bunaさんのリミックスに関しては、すごくヨルシカのテイストも出ていて。
それをこう、Nulbarichらしさみたいなものもちゃんと消化してくれているし、この楽曲のいわゆるコラボレーションっていう中でのボーカルの強さっていうのを生かしてくれているし、さすがだなっていう感じはありました。やっぱり、想像できる人とのコラボっていうのがあまり好きじゃない……ってわけじゃないけど、安心できるフィーチャリングと、“こうきたか…!”っていうフィーチャリングがあるじゃないですか。僕はやる側だったら“こうきたか”の方をしてみたかったので。
――これで海外のシンガーとかだと。
そうなんですよ。それが一番面白くないなと思って。LAに行って、海外のアーティストをフィーチャリングして、イエーイ(笑)、みたいのって全然面白くないと思うので。海外に住んだり、行きたかった理由も別にかぶれたかったわけじゃないので。スタンス的には何も変わらないし、単純に環境を変えて制作したいっていう。だから制作するたびに引っ越す人と一緒ではあるんですけど。
――今作に関して言えば、物理的な距離が物づくりに関係ない時代を証明している感じがして。
うん。いろいろ、いつもはなんだかんだでうまくいったな、みたいなことが多いんですけど。たぶんそれも想定していない、設計図を描いてないからこそなのかも知れないすけど。やってみたらできちゃった、というのが終わった後に思っていることというか。大変でもなかったし。
――自分の勘みたいなものをより試したくなる?
僕はそんな感じがしました。フィーリングと、そこなんじゃないかなっていう。ぶっちゃけた話、その後、超仲良くなって、どっか違うなと思っても、そこに別に突っ込んでいく必要はないわけだし。アートとして繋がれていればある程度、そこでお互いに許容できる部分が生まれているので。だから自然とお互いをリスペクトしあえる距離感で、お互いに保ち続けることができると思うんです。フィーリングとノリは、よかったですね。
――言葉にすると軽いですけど、Nulbarichのニューフェーズとしてはなかなか挑戦的なことだと思います。
そうですね。畑が全然違う人とできる。一番見たかった人たちの脳みそかもしれない、僕自身が。
――曲の話より、今をどう生きるかって話になりましたね(笑)。
僕自身で言うと、音楽を通すと話しやすいですけど。彼らとも会話できるって、やっぱり音楽って素晴らしいなって、まずこの3組で証明できてる気はするというか。畑も違う、こんだけ幅広いところから三角形を作ったというか、違うところで一つの料理が出来上がるというか。音楽がなかったらまず出会ってない。音楽以外で出会ってたら絶対に仲良くなってないですね。
――“絶対”(笑)。
ははは。共通点がないので。まぁでも本質は似てるなって感じはあります。
――彼らも薄々感じてるんでしょうね。
彼らも言ってくれてましたね、そういうこと。“最初はめちゃめちゃ怖いイメージで、鋭利なナイフみたいな人”と思っていた。“話したら全然いい人じゃないですかぁ”とか(笑)。
――(笑)。そういうことを言えるところも含めてクレバーなのかも。自分の作るものでちゃんと“主張し合えた”のはいいですね。
見てる人からすると異種格闘技戦に見えるんですけど、全員プロデューサーなので、同じ場所で戦ってるっていうのは変わらないっていう。そこが一番の共通点で、今回のコラボはフィーチャリングとリミキサーという立ち位置ですけど、3人でこのパッケージが作れたっていう感じはすごくしますね。それぞれの世界が3つちゃんとあるっていうのは、なんかいいコラボレーションになったのかなと思います。

取材・文=石角友香 撮影=菊池貴裕

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