日本を代表する作詞家で直木賞作家の
なかにし礼が死去、享年82

菅原洋一の「今日でお別れ」(1967年)、黛ジュンの「天使の誘惑」(1968年)、奥村チヨの「恋の奴隷」(1969年)、北原ミレイの「石狩挽歌」(1975年)、黒沢年男(※当時の芸名)の「時には娼婦のように」(1978年/作曲も担当)、細川たかしの「北酒場」(1982年)、島津ゆたかの「ホテル」(1985年)など、数々のヒット曲の作詞を手掛けたことで知られる、なかにし礼が2020年12月24日に死去した。

「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で日本レコード大賞を3度も受賞している。2000年には小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。2001年には、満州からの引き揚げ体験を元に描いた小説「赤い月」がベストセラーとなった。作詞のみならず、戯曲やエッセイなど執筆活動は多岐にわたった。また、コメンテーターや審査員などとしてテレビ出演し、お茶の間でも人気を集めた。

1960年、立教大学在学中に元タカラジェンヌでシャンソン歌手の深緑夏代に依頼され、シャンソンの訳詞を手がける。石原裕次郎との奇跡的な偶然の出会いにより、1966年に裕圭子とロス・インディオスの「涙と雨にぬれて」で作詞家としてデビューを果たす。

その後、ザ・ピーナッツ美空ひばりザ・タイガース、奥村チヨなど多くのスター歌手に作品を提供し、きらびやかな昭和の歌謡界を牽引した。手掛けた作品は約4000曲に及ぶ。2018年には五木ひろしのシングル「VIVA・LA・VIDA!〜生きてるっていいね!〜」、2020年には氷川きよしのシングル「母」の作詞を手掛けた。

なかにし礼が登場する以前の日本の流行歌は七五調が主流だった。しかし、なかにしは、「七五調は使わない」ことを鉄則として、破調のリズムで新しく日本人の心をつかんだ。

なかにし礼は日本の至宝であり、歌謡界に与えた影響は果てしなく大きい。

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