「野村義男のおなか(ま)いっぱい お
かわりコラム」14杯目は、アニソン界
のスーパーユニットJAM Projectから
影山ヒロノブが登場

ギターをこよなく愛するギタリスト・野村義男が、沢山の仲間を呼んでおなかいっぱいの内容でお送りする対談形式のコラム。おかわり14杯目は、結成20周年を迎えるアニソン界のスーパーユニットJAM Projectから、影山ヒロノブが登場。
野村:今回のゲストは、JAM Projectのメンバーでもありシンガーの影山ヒロノブさんでございます。宜しくお願いします!
影山:宜しくお願いします!
野村:ご近所さんですからね。
影山:最近飲みに行けてないから、よっちゃんと偶然会う機会もなくなっちゃったけど。
野村:緊急事態宣言とかそんな言葉がない頃は行く店、行く店でね。(笑)
影山:いやいや!(笑)
野村:とあるお店に入った時に、奥の方の目立たないところに座ろうと思ったら、目の前に影山さんって事もあったしね。
影山:基本的に夜中とかだよね。俺のイメージだと、3回に2回はよっちゃんがいるっていう感じ。(笑)
野村:そういう感じでご近所付き合させていただいてますけど、僕影山さんと一番最初に会った時っていうの覚えてるんですよ。
影山:40年くらい前の話?
野村:1977年です!
影山:えぇ!? ちょっと待って、それLAZYがデビューした年じゃない?
野村:そうです。僕「Hey!I LoveYou!」を生演奏で聞いてるんです。東京12チャンネルの「ヤンヤン歌うスタジオ」で。
影山:そうなんだ。
野村:僕たちあの番組の踊り子だったんです。でも楽器はやってたんで、バンドだ!って思って。あの頃ってまだテレビって生演奏だったじゃないですか、だから僕の生演奏ロック初体験はLAZYなんですよ。
影山:っていうことはさ、俺当時16歳だからよっちゃんは12歳くらい?
野村:そうですね、77年だとすると12歳か13歳ですね。短パンで聞いて感動してました。
影山:あの頃はさ、今はシンセサイザーの音とかも同期させて一緒に出せちゃうけど、当時は生バンドでやるしかなかったからね。
野村:そうなんですよね。だから凄くストレートにバンドを体験させて頂いて、嬉しかったですね。その後レコードも買いに行って、そこからLAZYファンですから!
影山:ははは!(笑)
影山ヒロノブ
野村:そのあと僕らもデビューまで辿り着けまして、忘れもしない1980年の12月7日ですよ。時代劇で楽屋が一緒だったんですよ!
影山:わかった、成城の方にある三船プロのスタジオだ! みんなちょんまげ頭で(笑)。
野村:そうです!
影山:俺もよっちゃんと話したっていうの覚えてるわ。
野村:その時に高崎さんが、今度フロイド・ローズっていう凄いギターのアームが入ってきて、それを日本で最初に俺が付けさせてもらうんだとか、ギターの話とかしれくれて。
影山:ふふふ。(笑)
野村:あの時は僕まだバンドやってなくて、ただのギター小僧ですよ。ホント感動しちゃって。
影山:でも、たのきんだったよね?
野村:そうです。で、その日の帰りのタクシーでラジオからジョン・レノンが襲撃されたってニュースが流れてきたって事もあって、その日を覚えてたんですよ。
影山:凄い記憶力だね!
野村:お店で会うとかだけじゃなく、超英雄祭とかもだし、現場でも色々ご一緒させていただいたりしてましたけど、ちゃんと気持ちを伝えられてなかったなって。『宇宙船地球号』とかも打ちのめされましたけど、「Goin’ Back to China」なんて最高でしたからね!
影山:そんな曲まで知ってるの? アルバムの中にまぎれてた曲だよ?
野村:ライブ盤も聴いたし、いっぱい影響受けてますから。
影山:嬉しいなぁ。
野村義男
野村:そしてLAZY再結成、まだ皆さんご健在の時のライブに行ったんですよ。どこだったけな。
影山:ホントに? 22、23年前だと、たしか東京は赤坂BLITZだ!
野村:いっぱい曲知ってるから大盛り上がりだったんだけど、一番記憶に残ってるのは影山さんのMCを素晴らしいと思ったんですよ!
影山:なんて言ってたっけ?
野村:アンコールだったと思うんですけど、今日はありがとうみたいな話をしたんです。その時に、「あと何曲かやると、後ろの2人は世界の”LOUDNESS”へ。こっちの2人仕事場へ。そして僕はちびっこのもとに帰ります!」って言ったんですよ。
影山:そうなんだ。(笑)
野村:すっげー振り切ってるって、かっこイイー!って思って。それ忘れられないですよ。
影山:まあその頃もう37歳とかだからね。アニソン生活で一番忙しかった頃だし。
野村: ドラゴンボールとかね、JAM Projectはもう始まってました?
影山:その3年後になるね。俺が40の時だったから。アニソンシンガーとして一番たくさんレコーディングして、そろそろ海外とかも呼ばれるくらいになってきた頃。
野村:言っちゃったらもうLAZYのメンバーは世界に通用してるじゃないですか! 凄いですよね。
影山:まあ特にLOUDNESSの二人はね!(笑)
野村:いやいや、何言ってるんですか。「JAM Project」もそうじゃないですか! それ考えたらホントに凄い事ですよ。
影山:ちゃんと覚悟はできてたんだろうね。
野村:ロックバンドからアニソンの方に移行したのが早かったじゃないですか。気持ち的にはどうだったんですか?
影山:20歳の時にLAZYが解散して、そこでもうLOUDNESSとネバーランドとソロに分かれたんだけど、1番先にっていうか、俺だけ凄く躓いたんだよね。22歳~24歳くらいの期間は、レコード会社の契約は切られるし、事務所もクビになるし、大変な時だったんだよ。
野村:はい。
影山:そんな低迷中だった85年に、突然コロムビアから「電撃戦隊チェンジマン」を歌ってくれないかって連絡もらったの。それがアニメ・特撮との出会いだね。
野村:その時の心境とかって覚えてます?
影山:それで俺が凄く悩んだんじゃない?ってよく聞かれるんだけど、その前があまりにも苦戦してたから、チェンジマンの話をもらった時は、久しぶりに業界というか世間が自分を必要としてくれたって、とっても嬉しかったんですよ。
野村:おお!
影山:でもコロムビアさんは気を遣ってくれて、影山くん元LAZYだしイメージもあるから、名前変えても良いよって言ってくれて。俺と社長は、そんなことないけどなぁとか言いながら、1個目のチェンジマンだけは影山ヒロノブじゃなくて「KAGE」っていう名前でやったんだよね。
野村:ははは。(笑)
影山:でも振り返ればその85年がスタートで、今日までアニメや特撮のレコーディングをする機会が途切れてないから。最初チェンジマンで、色々あって宇宙船サジタリウスとかで初めてアニメの主題歌を歌って、聖闘士星矢もやることになって話題になって。その1年ぐらい後にドラゴンボールZの「CHA-LA HEAD-CHA-LA」をいただいて、もうそこからは、職業を聞かれたら“アニソンシンガー”って絶対言わなきゃ駄目だなっていうくらい自分で覚悟を決めてた!(笑)
野村:僕はアニソンシンガーっていう風に見てない部分があって、もう普通にロックシンガーだって思ってて。
影山:よっちゃんから見たらそうだよね。
影山ヒロノブ
野村:去年発売になったJAM Projectのアルバム『The Age of Dragon Knights』を聴いたんですよ、壮大なる大作! オペラあり、ヘビーメタルあり、変拍子の凄いのあり、何だこれ?みたいな(笑)。
影山:あははは!(笑)
野村:これ影山さんがどこ歌ってんのか全部わかりました。
影山:ホント? 凄いね~。
野村:それだけ個性的っていうか、そんな喉って素晴らしい楽器じゃないですか。声質も昔から変わってないし。凄いシンガーだと思うんですよ、いつ聞いても素敵。
影山:ありがとう!(笑)
野村:一度カシオペアの神保さんと桜井さんがやってた「MINT CLUB」という番組でご一緒させていただいた時もカッコ良かったな~
影山:懐かしい! 得意な分野と不得意な分野と混ざってて、めっちゃ面白かったよね。(笑)
野村:なんだかんだご一緒させてもらってるのが、嬉しい限りでございます。
影山:ここしばらく出来てなかったけど、俺2年に1回くらいヤッチン(曾我泰久)と、アコースティックで東名阪を回ったりしてるの。その時も二人で飲みに行って、よっちゃんの話をめっちゃしてる。
野村:しなくていいですよ!
影山:あははは!よっちゃんとかヤッチンも、俺よりちょっと若いけど、ハードロック好きなのに、ビートルズとかも凄くよく理解してるじゃん?
野村:好きです。
影山:そういうとこがね、凄く好き。LAZYってレインボーとかディープ・パープルのコピーをやってた時に、かまやつ(ひろし)さんに見つけてもらって「東京来ちゃいなよ!」って言われて出て来たから。
野村:だってLAZYっていう名前自体がディープ・パープルのタイトルからとってるっていう話なんですよね?
影山:そうそう。
野村:やっぱり本当なんだ!
影山:かまやつさんはすごい洋楽志向な人で、ポール・ロジャースとかと仲が良かったから、LAZYのデビュー曲頼んだらカッコ良いよねって言われて。バッド・カンパニーのポール・ロジャースとかが書いてくれたら、俺たち倒れちゃうかもって喜んでたんだけど……。
野村:いや、それはそうなるでしょ!
影山:他のプロデューサー達と言うか、当時のスタッフは8割くらいGS出身のミュージシャンだったから、ディープ・パープルなんてやっても絶対売れないから、デビューするんだったらちょっとビートルズとかストーンズ練習させた方が良いって方針になって。
野村:はいはい。
影山:最初にリハーサルスタジオで「プリーズ・プリーズ・ミー」カバーしてごらんって言われて、やってみたら俺たちメチャクチャ下手で。(笑)
野村:だってスタート時点でそっちの血じゃなかったでしょ、ロックの人達だから。下手とかそういう問題じゃなくて、そっちから来てないんだから無理矢理やってもね……。
影山:だから何回やってもうまくいかなくて、社長が駄目だこれみたいなになっちゃって。しかも、初期のビートルズってコーラスだらけじゃん? でも、コーラスっていう概念全然ないから、タッカン(高崎晃)とかも歌う気ゼロで。
野村:でもLAZYの時は高崎さんちょっとコーラスやってましたよね?
影山:オリジナル曲になったら、もう四の五の言わずにやらなきゃいけないっていう気持ちだったから。(笑)
野村:だって、宇宙船地球号で歌ってますからね!
影山:その頃はもうだいぶ苦労して、色んな可愛い曲もレコーディングしてたから。だから樋口(宗孝)さんも、LAZYの4年間の中で最後には、井上鑑さんのアレンジした曲とかもある程度初見で譜面読めるようになってたね。
野村:素晴らしい! 井上鑑さんの譜面なんて、絶対細かくてキメキメみたいな感じじゃないですか。
影山:分数コードとかもガンガン出てくるじゃないですか。タッカンも最初は苦労してたんだけど、ちゃんと理解できるようになってたからね。そういう音楽的成長が、ちゃんと強みになってたんじゃないかな。
野村:はいはい。
影山:それこそカックラキンとか、全員集合みたいなのでフルバンドの人達と一緒になったら、樋口さんなんてドラムのローディーの人に自分から話しかけていって、井上さんが書いた譜面とか見せて、「ここはどう叩くんですか?」とかって聞いてたから。
野村:凄い勉強熱心だったんですね。
影山:いや、彼は楽器が好きすぎて。心の中はメタル一色しかないんだけど、仕事でやる以上はちゃんとやらなきゃって思ってたんだろうね。当時はイヤモニなんかもなくて、ホーンセクションとか一緒のフルバンドでやると、俺たちモタったり走ったりしちゃって。
野村:まぁまぁ、バンドマンですからね。
影山:そうするとリハ終わったら呼び出されて、ちゃんとテンポキープしないと一緒に出来ないぞとか、すっごい怒られて。だからみんなメチャクチャ頑張ってたよね。
野村:でも僕「LOVE LOVE あいしてる」って番組で樋口さんと一緒にやらせてもらってた時期ありますけど、その時樋口さんKinKiKidsの曲ばっちりでしたよ。LOUDNESSがKinKiって感じが凄く面白かったですし。
影山:LAZYで苦労したおかげかな。(笑)
野村義男
野村:そこからJAM Projectに至るって感じだと思いますが、このコロナ禍は、どう過ごしていらっしゃいましたか?
影山:俺たち、去年20周年だったんですよ。日本全国とアジアとかも入れて、アニバーサリーのツアーが全部で20何本あったんですけど、全てなくなっちゃいました。
野村:だって人集まっちゃうから!
影山:最初は4月から始まる予定だったんだけど、それがダメってなって。でも1~2か月も経てば収まるんじゃないかって甘く見てたから、延期のスケジュールを出してたんですよ。それが一向に状況が良くならなくて。
野村:うん。
影山:日本でのコンサートの締めが、ぴあアリーナ2日間の予定だったんだけど、それも無理になって。結局できたのは、とっておいた日程から配信で『JAM FES.』っていうのをゲストにも来てもらって1回できたのが唯一の20周年記念。(笑)
野村:外国もしばらく行けないですしね、JAM Projectって凄く沢山海外に行ってるイメージあるのに。
影山:結構行きましたね。2008年は、初めてのワールドツアーっていうことで南米・北米・アジア・ヨーロッパに行って、1番面白いところだとアブダビとかも行きましたね。
野村:そういう所にもアニメ好きな人多いんですね。
影山:もう今はインターネットが拡がってて、今日日本で起こってることは明日には世界中の人が知ってるような感じだよね。驚いたのはイスラム教のエリアでのコンサートで、ステージの上から女性を指さしちゃダメとか、握手会は女性から手を差し伸べてもらわないとダメとかあって、凄いなって思いましたね。あとは、僕ソロだとエジプトでも歌ったんですよ。ピラミッドの前でエジプトのコスプレイヤーと写真撮ったりして。
影山ヒロノブ
野村:凄い! そんな日本や海外の映像も含めた20年の痕跡を集めた映画って事で良いんですかね、『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』ということで。
影山:コンサートのDVDによく収録してるメイキングで、リハーサルシーンとか、会場に入って……とかのシーンとかあるじゃないですか。ドキュメンタリー映画になると、それよりももうちょっとJAMという活動に対して自分達が考えてる事が沢山入ってる感じなんですよ。
野村:はい。
影山:前半は、俺たちが2000年に結成されて、アニメが今よりまだオタクのものっていうか……。アニメ、アニソンが好きだよ!って言うと君オタクだなって言われていた頃から、一気に市民権を勝ち得て行ったのとリンクしてて。ライブハウスみたいなところから横浜アリーナまで同じ曲で映像を繋いでいったりして、JAMはこんなに盛り上がっていったんだって事が分かるようになってます。
野村:良いですね。
影山:で、途中から自分たちの年齢的な事やキャリアも相まって、壁にぶつかって……みたいな。
野村:皆さん大ベテランじゃないですか。だから、そういうの考えたら最初は楽しんでやってるのが、いつの間にか見せなきゃとかに変わっていく感じね。
影山:そう! 色んな葛藤が出てきて。その葛藤の中で20周年のツアーをやるけど、シリアスっていうか見方によっては、ネガティブな表情も出てきたりして。
野村:へ~!
影山:この映画って最初の非常事態宣言の1年くらい前から撮ってて、最後はツアーを映して、それでも俺たちは頑張るよ!見て、今こんなにも頑張ってるよ!ってなるはずだったんだけど、それが全部なくなっちゃって!(笑)
野村:うん。
影山:だから、1回だけやれたフェスを通して、今まさに自分たちが乗り越えようとしてる過程を映し出してくれてるんですよ。
野村:逆になんかカッコ良いですね、To be continuedみたいな。これが2月26日から3月11日まで……2週間限定なの?
影山:そうですね。
野村:短くないですか? もっとやりましょうよ!
影山:よりによってこんな時だけど、やっぱりファンも楽しみにしてくれてたんで何とか公開したいなと。
野村:去年とか見れなかった人たちは、絶対JAMに飢えてるわけですよ。僕も予告編的なものを見させていただいたんですけど、あれだけで僕盛り上がりましたから。これは是非映画館で見てみたいなって思ってます。
影山:あはは、嬉しい!
野村:予告編ではカッコ良い映像ばかりが見られたんですけど、さっきネガティブなシーンもあるよって言ってたので、意外と正直な部分が見れるかもしれないドキュメンタリー映画になっていると思います。万全の対策をした上で、是非『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』観に映画館の方へ足を運んでいただきたいなと。
影山:是非!
野村:そんな感じで、今日は影山ヒロノブさんをお呼びいたしました。ありがとうございました!
影山:ありがとうございました!

撮影=大塚秀美
野村義男 / 影山ヒロノブ

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