ゴッホらの名品がそろい踏み 『ゴッ
ホ展──響きあう魂 へレーネとフィ
ンセント』のみどころにフォーカス

『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』が、2021年9月18日(土)より、上野・東京都美術館にて開幕した。
この展覧会の主役はふたりいる。ひとりはもちろん、泣く子も黙る巨匠フィンセント・ファン・ゴッホ。そしてもうひとりの名前は、おそらくあまり知られていないだろう。へレーネ・クレラー=ミュラーという女性である。
彼女はゴッホの家族でもなく、恋愛相手でもモデルでもない。へレーネはゴッホ作品に魅せられた大富豪のコレクターであり、いわば “ゴッホファン” なのである。
展覧会の英語タイトルは『Collecting Van Gogh』と銘打たれ、収集家へレーネの情熱にフォーカスしているのが明確にわかる
この『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』は、単純にゴッホの作品を並べたものではなく、そこに想いを寄せ、美術界に広めていったひとりの収集家の歩みをたどる展覧会だ。会期は2021年12月12日(日)まで(日時指定予約制)。本記事では、開幕に先駆けて開催されたメディア内覧会の様子をレポートする。
冒頭では、ヘレーネと夫が購入したファン・ゴッホ作品の一覧が図版入りで分かりやすくまとめられている
注目すべきは、作品の購入金額が分かる範囲で公開されているところだ。わざわざ取り上げるのも野暮かもしれないが、例えば1912年には、現在の日本円に換算しておよそ2億8800万円相当の作品収集が行われている。冒頭の一覧を眺めていると、意外とアレよりコレの方が高額だったのか……なんて楽しみ方も。
初めまして、へレーネさん
では、主役のへレーネに早速ご登場いただこう。へレーネ・クレラー=ミュラーは1869年生まれ。実業家アントン・クレラーの妻であり、38歳ごろから猛烈にアートにハマったらしい。そのコレクションはのちにオランダのクレラー=ミュラー美術館として結実し、彼女はその初代館長となった。
フローリス・フェルステル《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》1910年、クレラー=ミュラー美術館
展示室で真っ先に目に入るのは、オランダの画家・フェルステルによるヘレーネの肖像画。ちなみに、生真面目さがにじむように描かれたこの顔つきに、ご本人は満足しなかったのだとか。
写真左手の壁に掲げられた、乗馬姿の女性がへレーネ
ヘレーネの好みのタイプは “19〜20世紀のフランス、オランダ絵画をメインに、中でも深い精神性を感じさせるもの” だそう。自分の好きな作品を購入するというのは大前提だが、後に美術館として一般公開することも視野に入れて、西洋美術の流れを網羅できるよう体系的に購入を進めていったという。
19世紀美術史総まくり!
本展では、ゴッホ作品のほかにも、クレラー=ミュラー美術館が誇る魅惑のコレクションの一部が来日している。まるで美術史の教科書のような、その作品ハイライトを紹介しよう。
パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル《それは遠くからやって来る》1887年頃、クレラー=ミュラー美術館
オランダのハーグ派の画家、パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエルの《それは遠くからやって来る》は、へレーネが最初に収集した記念すべき作品。遠近法の彼方から煙を上げて走ってくる汽車の姿に、未知のものへの静かな期待と興奮を読み取ることができ、彼女のコレクターライフの始まりを飾るのにぴったりな一作である。
アンリ・ファンタン=ラトゥール《静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)》1866年、クレラー=ミュラー美術館
ヘレーネは静物画の名手、アンリ・ファンタン=ラトゥールの作品も好み、15点を収集したそう。ファンタン=ラトゥールは印象派旋風の吹き荒れるフランスにおいて、写実主義のスタイルを貫いて活躍した画家だ。実際に目の当たりにすると、色の対比の美しさと端正な質感の表現に衝撃を受ける。テーブルに花とフルーツが置いてあるだけなのに、俗世を超えた気高さすら感じられるような……。
ジョルジュ・スーラ《ポール=アン=ベッサンの日曜日》1888年、クレラー=ミュラー美術館
コレクションには夭逝の画家ジョルジュ・スーラの稀少な作品も4点ほど含まれている。新印象派の代表的存在であるスーラによる点描技法を、間近で観察できるチャンスだ。引いた写真では実感しづらいけれど、一つひとつの点は本当に純粋な青や赤。恐るべきストイックさである。
ピート・モンドリアン《グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション》1919年、クレラー=ミュラー美術館
へレーネと同時代のオランダで活躍していたピート・モンドリアンによる抽象主義絵画も、深い精神性をたたえたものとして愛好された。モンドリアンと言えば、イヴ・サンローランのワンピースになった三原色のコンポジションが有名だが、本作のような抑制の効いた色彩もまた美しい。寄せては返す黄金比の連続に身を委ねていると、くらくらするような心地いいリズムを感じられるはずだ。
写真右手の壁に掲げられているのは、クレラー=ミュラー美術館の庭園の様子。同館はヨーロッパ有数の彫刻庭園でも知られる
ここに挙げたもの以外にも、ルノワールやルドン、ブラックなど、見応えのある作品が一堂に会している。第一の展示室だけで『クレラー=ミュラー美術館の名品展』と言えそうである。
素描家ゴッホの力強い歩み
ヘレーネは美術教師ヘンク・ブレマーの指導のもとでアートに開眼し、コレクションを築き始めた。そのブレマーが非常に高く評価していたのが、ゴッホだそうだ。ゴッホの没後18年が過ぎた1908年、まだ評価の途上にあった彼の作品世界に出合ったへレーネは、そこからおよそ20年間で90点以上の油彩画&約180点の素描・版画を収集し、世界一の個人コレクターとなったのだ。
本展では、LB階〜1階〜2階と3フロアにわたってボリュームのある展示が続く
1階の展示室に進むと、ここからはついにゴッホに関する展示のスタートだ。まずは彼の素描を堪能しよう。なお、展示は基本的に時系列に沿ってなされている。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャガイモを食べる人々》1885年4月、クレラー=ミュラー美術館
初期の代表作《ジャガイモを食べる人々》のリトグラフを発見。ゴッホとしてはかなり気合の入った自信作だったそうだが、人物のぎこちなさを画家仲間に厳しく指摘されて傷ついた、という有名なエピソードがある。
フィンセント・ファン・ゴッホ《鍋を洗う農婦》1885年7-8月、クレラー=ミュラー美術館
しかしそのおよそ3〜4ヶ月後には、力強さを感じる《鍋を洗う農婦》を描いた。これらの展示を通じて、ゴッホがオランダ時代に人物の素描に打ち込み、輪郭線ではなくボリュームでカタチを把握するように進化していったのがよく分かる。
色彩の階段を駆け上がる
フィンセント・ファン・ゴッホ《森のはずれ》1883年8-9月、クレラー=ミュラー美術館
そして展示はいよいよ、油彩作品に。《森のはずれ》はへレーネが最初に購入したゴッホ作品。描かれたのは彼がオランダのハーグで制作していた期間だ。田舎の田園風景を詩情たっぷりに描く、バルビゾン派の影響が見られる。
会場の壁はオランダ時代(左)と、1886年以降のパリ時代(右)でわかりやすく色分けされている
オランダからパリに打って出て、ゴッホの画風は大きく変化した。印象派の洗礼を受け、より明るく大胆な色彩が登場してくる。ところ変わって、1887年のパリ時代に描かれた《レストランの内部》を見てみると、壁や床といった一部の表現には新印象派の点描技法が試みられ、キャンバス全体が明るい空気に満たされているようだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《レストランの内部》1887年夏、クレラー=ミュラー美術館
ところで……本展でとても気になったのは、クレラー=ミュラー美術館所蔵のゴッホ作品に共通で採用されている、素朴な木の額縁である。巨匠の絵画といえば金色の豪華な額縁を想像しがちだが、意外なほどシンプルなものに収まっているのが目に心地いい。
展覧会図録の解説によれば、これはヘレーネがこだわりをもって選んだ特別な枠で、オランダ時代の作品は濃茶色のチーク材、フランス時代には淡黄色のメープル材を使用するなど、制作年代によって木材の色調が使い分けられているのだそう。華美な装飾を排し、作品そのものに集中できるようにこだわるあたりに、ヘレーネの深い美術愛を感じる。
まるで新鮮なバターのような……
さて、ここで展示空間は軽く区切られ、オランダが誇るもうひとつのゴッホコレクションからのゲスト出展コーナーになる。フィンセント・ファン・ゴッホの義妹・ヨーの息子によって設立された、フィンセント・ファン・ゴッホ財団のコレクションである。
クレラー=ミュラー美術館の収蔵作品だけでもかなり網羅的なのに、比較的出展数の少ないアルル時代の名作を+αのゲストとしてお招きするとは……。『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』、おそるべしだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家(通り)》1888年9月、ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
南仏・アルルの眩しい太陽のもと、ゴッホは芸術家同士が共同生活を営みながら切磋琢磨するコミュニティを夢見た。この《黄色い家(通り)》は、アルルに移り住んだ彼が情熱に任せて(弟の金で)借りた、共同生活のための家を描いたものだ。ゴッホ好きならその後の顛末を思って涙目になるほど、痛々しい期待と喜びに満ちた一枚である。
フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家(通り)》(部分)、1888年9月、ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
ゴッホは弟のテオに宛てた手紙の中で、この家のことを「新鮮なバターのような黄色」と表現している。丹念に塗り重ねられた画面はつやつやと輝き、彼の言葉をそのまま表しているかのようだ。
ファン・ゴッホ美術館からは、ほかに《サント=マリー=ド=ラ=メールの海景》など計4点が来日している。いずれも、彼の風景画家としての魅力を再確認できる傑作だ。4点中2点のキャンバスに「Vincent」と画家のサインが入っているのは見逃せない。なぜなら、ゴッホは自信作にしかサインを残さなかったからだ。
圧巻! 「これぞゴッホ」なコレクション
展示風景
最後の2階展示室では、“ゴッホ展” への期待を裏切らないゴッホ円熟期(とはいえ36〜37歳!)の傑作がずらりと並ぶ。クライマックスまで息切れしないよう、ペース配分にはお気をつけて。
フィンセント・ファン・ゴッホ《レモンの籠と瓶》1888年5月、クレラー=ミュラー美術館
《レモンの籠と瓶》はヘレーネが深く感銘を受けた作品であり、友人にその想いを綴った手紙の文面も一緒に展示されている。「天国のようだ」「これは現実のレモンを超えたものが描かれている」という言葉からは、彼女がこの色彩に深く共鳴し、物質を超えた精神性を感じ取っていたことがうかがえる。
フィンセント・ファン・ゴッホ《サン=レミの療養院の庭》1889年5月、クレラー=ミュラー美術館
この《サン=レミの療養院の庭》はサン=レミの療養院に入院してすぐ、弟のテオに宛てて「ここもそんなに悪くない」という手紙とともに送られた風景画だ。どこにも行き場のない中庭の景色ながら、画面を埋め尽くす花々には弟を心配させまいとする切実さが漂うようで、胸が震える。ちなみに、本展で見られるゴッホ作品の中での最高額(約1万8000ギルダー)の一枚だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12-15日頃、クレラー=ミュラー美術館
そして展覧会のクライマックスと言える場所で鑑賞者を待つのが、本展の目玉とされる《夜のプロヴァンスの田舎道》だ(資料によっては《糸杉のある道》《糸杉と星の見える道》などと呼ばれる)。中心に描かれた糸杉はよく “燃え上がるような” と表現されるので、荒々しく感情をぶつけるような筆遣いを想像していたのだが、筆者は、ハッとするほど静かな印象を受けた。
この作品はゴッホにしては珍しく、目の前の風景ではなく想像をもとに描かれたと考えられている。想像で描くという試みは、アルルで短い共同生活を行ったゴーガンが強く勧めてきたものだ。ゴッホがゴーガンに宛てた手紙(未投函)の中で、この作品を略図付きで自信ありげに解説していることからも、本作は南仏時代の集大成として制作されたと考えられるだろう。解説文のロマンチックな言い方を借りるなら、“南仏へのファン・ゴッホの別れの印” なのだ。
想いがうねり、流れになる
絵画を見ると画家のことが分かるような気がするものだが、コレクションを見ると、コレクターのことがさらにクッキリと分かるような気がする。数ある芸術作品の中からどれを買うか、というのは一種の自己表現である。へレーネのように、自分の感受性を託すことができるアーティストを見つけ、作品を深く見つめ、世に素晴らしさを広めることができたら、それはどんなに豊かな生き方だろうか。
東京都美術館
本展は、好きなアーティストの作品を買うということは、その人の価値の証人となることだ、と改めて教えてくれる。ヘレーネがいち早くゴッホ作品を大量収集したことによって、「ゴッホってそんなにいいの?」と作家の人気がさらに高まっていったのは事実である。
ゴッホと画商だった弟テオとの二人三脚はよく語られるけれど、そもそも画業とは、その作品を評価し愛する全ての人との終わりなき共同作業と言えるのではないだろうか。そしてそれは、現代でももちろん続いていく。ゴッホのために美術館へ足を運び、「美しいと思った」「ポストカードを買った」(あるいは「それほどでもなかった」であったとしても)、感じたものを語り合うことで、いち鑑賞者である私たちもまた、大きな美術史の流れを形作っていくのだろう。
『ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』は2021年12月12日(日)まで。日時指定の事前予約制をとっているので、鑑賞券の事前購入をお忘れなく。

文・写真=小杉美香

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