柴田 淳

柴田 淳

デビューまでの約3年間は
恐怖でしかなかった

どうして歌手になりたい気持ちが勝ったのでしょう?

もう圧勝でした。どんな仕事よりも“これしかない”という想いがありましたね。歌手を諦めてまでやりたいことが何ひとつとなかった。ただ、大学まで行かずに歌手を目指すなんて親が納得しないから、まずは大学に行くために勉強をして、大学生の時に歌手になりたいと思っていることを打ち明けたけど、冗談だと思われてしまったんです。だったら親の承諾がなくてもオーディションを受けられる20歳になるまで虎視眈々と絶えて、大卒の資格もとることに決めました。夢に向かって全てを投げ出すようなやり方はしたことがないから、冷静さというか、ずる賢さはある気がします。歌手になれるかなれないかではなくて、“なる”という気持ちしかなかったです。

それだけ歌うことが楽しかったんですね。

学校から帰ったら狂ったように歌っていましたよ(笑)。高校では学校にCDを持ってくる音楽好きな子もいたから、そこでJ-POPを教えてもらって火がついちゃって。その子たちがいたから音楽の刺激を得て、SING LIKE TALKINGにも出会って。

柴田さんのライヴではアンコールでお客さんからリクエストをもらった曲を即興で歌うアカペラのコーナーがお馴染みですが、学生の時もあんなふうに楽しく歌っていたのかなと。

実を言うと、あのアンコールは本編でチケット代分を届け終わった解放感でやっているんですよ。“もうここからはオマケ分なので文句は言わせませんよ”という感じで(笑)。あの時間はプレッシャーからの解放はもちろん、一公演を完成させた達成感というか充足感があって本当楽しいです。でも、学生の時からアカペラで歌う自信はあったと思います。周りの子が音を外していても、それに気がついているのは自分だけで…子供の頃にピアノを習っていたから、そういう耳になっていたんですよね。だから、“私って歌うまいのかも!?”と気づいたきっかけはアカペラだったです。自分の曲だとどうしても仕事になっちゃうけど、今でも人の曲を歌っている時は遊んでいるような気持ちになれるから大好きです。

歌手になる夢を後押ししてくれた人はいましたか?

ひとりいました! 歌手になることしか頭になかったので就活はしなかったんですけど、パートのために受けた面接で新卒採用の内定をもらいかけたことがあったんです。でも、歌手志望であることは伝えていたので、デビューが決まったら辞めるというのがダメで取り消しになってしまって。それを学校の就職課の人に報告したら“君は歌手になりたいんだよね? 素敵じゃないか”と否定せずに後押ししてくれたんです。

一番不安な時期にそう言ってもらえたんですね。

でも、22歳で無職というのが強烈に怖くて、24歳のデビューまでの約3年間は恐怖でしかなかったです。オーディションも落ちてばっかりだし、歌唱力だけのオーディションでは“アイドルになりたいなら年齢的に遅すぎるよ”とか“歌だけでやっていくのは厳しいよ”と言われるようになって、あんなに大嫌いだったピアノにまたお世話になって、作詞作曲を仕方なく始めました。

その頃に作った「隣の部屋」や「哀れな女たち」は、20周年記念ベストアルバム『20th Anniversary Favorites: As Selected By Her Fans』(2021年12月発表)にも入っていますね。

「哀れな女たち」はとあるレコード会社の育成部門でお世話になっている時に、キーボードの打ち込みで作った曲で。お金がなかったからキーボードを借りて、最初で最後の打ち込みで作った曲ですね。リリースした時にブラザートムさんの番組にゲスト出演させて貰った時に、エンディングの最後までカッコイイ!を連発してくださって、オンエアでは、コーナーが終わってCM明けにも大絶賛してくださっていたと聞いて本当に嬉しかったです。自分で言うのもなんですがファンキーなんですよね、とっても。本当はこうしてファンクっぽい曲も好きなんですけど、まだ自分では活かせずにいます。

OKMusic編集部

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