〈少年王者舘〉天野天街に聞く、40年
の活動&劇団員クロニクル〜東・名・
阪の三都市で劇団員募集オーディショ
ンを26年ぶりに実施

愛知県・名古屋を拠点に活動する劇団〈少年王者舘〉が今年2022年、創立40周年を迎えるのを記念して、2022年3月19日(土)に東京、26日(土)に大阪、27日(日)に名古屋の三都市で劇団員募集オーディションを行う(応募締切は3月1日)。〈少年王者舘〉で公式にオーディションが行われたのは、過去2回のみ。その2度目のオーディションは1996年で、3回目となる今回のオーディションは、実に26年ぶりの実施となる。
2022年2月現在、〈少年王者舘〉に在籍している劇団員は主宰の天野天街を含めて全24名だが、長い歴史の流れの中で、多くの役者やスタッフが劇団員として、或いは外部からも深く関わりながら〈少年王者舘〉の作品世界を形づくってきた。その活動歴の長さゆえ、劇団員の中には活動休止や一度退団した後、時を経て再び入団したり、作品に参加する面々も少なくない。
また、本公演だけでも40本を越え、その時々で外部から数々の客演も迎えているため、作品創りに関わった役者やスタッフ、関係者は膨大な人数にのぼるが、今回は劇団員の流れと、主に現在も関わりの深い外部スタッフ、劇団或いは天野の創作上の特徴的な出来事に特化して、その歴史をたどってみた。これまでどのような顔ぶれが作品創りに参加し、〈少年王者舘〉という劇団がどのように形成されてきたのかを、制作部作成の活動記録と主宰・天野のインタビューを通して、40年の歩みを振り返る。
【少年王者舘 劇団員】※2022年2月現在、24名
天野天街、井村昂、珠水、杉浦胎兒、夕沈、虎馬鯨、中村榮美子、白鷗文子、山本亜手子、サカエミホ、雪港、☆之、水元汽色、小林夢二、宮璃アリ、水柊、池田遼、る、岩本苑子、カシワナオミ、篠田ヱイジ、近藤樺楊、月宵水、藤田晶久
◆1979年~〈劇團少年王者〉黎明期
※以下、下線付の人名は現在及び過去に劇団に在籍していた人物

1979年、大学に入学した天野は、高校時代の同級生が立ち上げた劇団〈紅十字舎〉の手伝いを始める。名古屋・大須の「七ツ寺共同スタジオ」で公演を行っていたこの劇団で、当初は公演チラシの原画や舞台美術を頼まれ、そこから宣伝美術・舞台美術を手掛けると共に、役者として出演も。そして第4回公演『肉色都市(にくいろのまち)』では、遂に初の劇作と演出を担当。
「一番はじめに参加したのが〈紅十字舎〉。公演を4本やって、主宰の人間が神戸に帰ったりして空中分解したので、なんかまだもうちょっと芝居を続けようという話を、その公演に客演していた畑上計太君(醜穢山梅菌)と話して、じゃあ「新しい劇団を作ろう」ということになって劇団員を募集したのが’ 81年です」(天野)
この時、募集チラシに書かれた劇団名は〈子宮睡眠〉だったが、不評のためすぐに〈劇團少年王者〉へ改名。そして、’ 82年3月に旗揚げ公演『月光遠方通信』(作・演出:天野天街 ※以下、特に記載のない場合は同様)を七ツ寺共同スタジオにて行う(以降、同劇場が活動拠点に)。
「旗揚げメンバーは、天野天街、醜穢山梅菌、長谷川久、永澤こうじ、梅星梅之介の男5人と、劇団員募集で一人だけ募集してきた中2の女子・水道橋寿美の6人でした」(天野)
現在の〈少年王者舘〉からは想像しがたいメンバー構成であったが、以降、入団者や客演が続々と増えていく。’ 82年11月、第2回公演『北斗』より杉浦胎兒、すうどん、矢田津世子、よろずや猫(照明、制作なども)、山崎のりあき(写真、後に制作なども)が参加。この公演から長谷川久が作曲を担当。
「第1回公演が終わって、まだやり足らなくて、もう1本やりたいな、っていうことに。みんな大学はバラバラだったけど、永澤の後輩のすうどんや杉浦胎兒、みんなの知り合い関係が何人か来て、『北斗』は全部で17人ぐらい出てました」(天野)
‘83年、天野が印刷会社へ就職したこともあり、第3回公演『アーマルの花咲くむこう山』の作・演出は、長谷川久が初めて務める。この公演よりバルボア、西村魚子が参加。さらに’ 84年1月の第4回公演『魚ノ少年』は、永澤こうじが作・演出を担当。この公演より月宵水(当時は「美化月依」)が参加。また、公演中に天野の無断欠勤が職場にバレて印刷会社を退社。以降、天野は表現活動へ専念することとなる。

◆第1期 1984年~1997年
「会社を退職して、久しぶりに作・演出をやったのが’ 84年8月の第5回公演『自由ノ人形』。七ツ寺共同スタジオの二村さん(劇場創設者で元代表、現顧問の二村利之)が東京のザ・スズナリに推薦してくださって、スズナリで初めて東京公演もやりました。これが劇団としての最初の大きなターニングポイントですね。その東京公演を水谷雄司とか井村昂が観に来て、それが後々の新しい人脈に繋がっていきます」(天野)
また、この『自由ノ人形』より石丸だいこが参加。同年12月の第6回公演『コリン』で石丸・月宵水の名コンビが誕生し、その後の芝居の路線が出来上がる。そして、’ 85年には東京・新宿のタイニイアリスに誘われ、同劇場主催の演劇祭《アリスフェスティバル》に初参加。7月~8月の第7回公演『北斗・銀』から毎年《アリスフェスティバル》に参加し、’ 90年まで同劇場が東京公演の拠点となる。
「『北斗・銀』の半年前には、新宿2丁目のストリップ劇場のシアターニューモダンアートでレビュー公演『銀ノ星 人工少年博覧会ーイナガキタルホ 少年愛の美学ー』(作・演出:天野天街/振付:ジョルジュ高橋)をやったんですよ。ここで知り合ったマリリンマリィや大宙星子とかダンサー達との繋がりも出来て、その人達が王者舘に入ったり、劇団員がどんどん東京の人ばっかりになっていったなっていうのが、たった2回の東京公演でほぼ決まった感じ」(天野)
この『北斗・銀』よりマリリンマリィ、大宙星子、サムソン熊田、田岡一遠(現在も天野作品の舞台美術を手掛ける)、早川司津乃が参加。’ 85年11月には、大阪・梅田の阪急ファイブ(現 HEP FIVE)にあった小劇場、オレンジルームにて、第8回公演『チキユ』で初の大阪公演も敢行。この公演よりルナ リリナが参加。
「その頃には永澤が〈維新派(当時は日本維新派)〉の『蟹殿下』(’ 85年5月上演)に客演したこともあって、〈維新派〉との付き合いが始まっていました。初の大阪公演は阪神タイガース日本シリーズ優勝の日と重なって、たった10人ぐらいの客だったけど、ほぼ全員松本さん(維新派主宰・松本雄吉)が率いて来てくれた人だったんです」(天野)
さらにこの『チキユ』より、劇団名が〈少年王者舘〉に。
「それまでチラシの劇団名は、山川惣治の「少年王者」のものを勝手に使ってたんだけど、田岡さんがロゴを書いてくれて。改名というより、そのとき〈少年王者舘〉と描いてもらったからそのままその名前に」(天野)
翌’ 86年には、第10回公演『マバタキの棺』を東京・名古屋で上演。その後、マリリンマリィ、大宙星子を中心としたダンスレビューユニット〈東京黄昏団(とうきょうくれないだん)〉を結成。’ 87年に旗揚げ公演『磁石姫』を東京・名古屋で行い、水谷雄司(舞台美術家として各所で活動する傍ら、長年に渡り王者舘の舞台美術も担当)、井村昂、少年マルタらが本格参加。
「『マバタキの棺』で俺個人の書く内容がだいたい決まった感じがあります。’ 87年からは王者舘と両輪で、〈東京黄昏団〉という別ユニットを始めました」(天野)
‘87年4月の第11回公演『キニエリ』からは、カシワナオミ、智恵子らが参加。さらに同年11月には、日本維新派+少年王者舘 合同公演『少年ノ玉』を名古屋の白川公園ジャングルジム劇場にて上演。この公演より姫子が参加。「憧れの松本さんや維新派と一緒に、それも結構壮大な野外公演をやってしまった。まだこれ、王者舘が始まって5年目ですね。よくやったな(笑)。その頃にバンド〈たま〉との付き合いも出来て、この合同公演で演奏してもらったり、松本さんと引き合わせたりもしました」
〈たま〉の知久寿焼、石川浩司のゲスト出演(’ 88年『御姉妹』)を経て、’ 88年11月には、たま+少年王者舘 合同公演『メンキ』を東京と名古屋で実施。その後一時期、知久寿焼は劇団員に。
「その時は劇団員じゃないと出ちゃダメ、という掟だったから。『北斗ノ銀』1回だけ、ひと夏の劇団員(笑)。その後も〈たま〉との付き合いは続いて、〈東京黄昏団〉の第3回公演『踊るお父さん』(作・井村昂/演出:天野天街)に柳原陽一郎が出たり。ちょうどその最中に「イカ天」(※注1)で有名になったから、〈たま〉の人気と共に王者舘の注目度も上がって、観客がどんどん増えた頃ですね」(天野)
※注1 ‘89年2月~’ 90年12月まで土曜深夜に放送され、一大ムーブメントを巻き起こしたTBSの音楽番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』。その日に出場したアマチュアバンドから審査員によって「イカ天キング」が選出され、5週勝ち抜くとメジャーデビューが約束されていた。〈たま〉は5週を勝ち抜いて「第3代グランドイカ天キング」となり、’ 90年5月に「さよなら人類/らんちう」でメジャーデビュー。メンバーは既出の知久、石川、柳原と、滝本晃司。’ 95年に柳原が脱退、2003年に解散。
‘88年7月~8月の第13回公演『御姉妹』より加藤千晶、KANS(音響)が参加。劇伴の作曲が長谷川久・珠水の2人体制になる。珠水は、’ 88年3月の〈東京黄昏団〉『光ノ姫』より参加。王者舘メンバーも多数在籍したバンド〈遊星ミンツ〉でボーカルも務め、ライブ活動も行っていた。’ 89年7月~8月の第14回公演『北斗ノ銀』からは、岩田三太夫、羽鳥直志(写真、後に制作も担当)、現在も天野作品の映像を多く手掛ける浜嶋将裕が初参加している。
「王者舘にとっては音楽がすごく大きくて、旗揚げメンバーの長谷川久がずっと作曲演奏してくれていたんです。医者になってから仕事が忙しくなって、役者は出来ないけど音楽だけはやってくれていた。それでこの頃から、珠水も加わって両輪で音楽を作っていくようになったのが大きなポイントです」(天野)
‘90年7月~8月の第15回公演『星ノ天狗』では、東京・名古屋に加え、初の江ノ島公演も。この公演より、とろろ参加。同年11月には第16回公演『マッチ一本の話』(原作:鈴木翁二/作・演出:天野天街)を京都・同志社大学と奈良・一条高校で上演し、田村英子、伊藤真由美、海老澤栄が参加。’ 89年~’ 92年頃にはこうした本公演のほか、番外公演や劇団員個々のダンス公演、プロデュース公演、美術作品展、写真展、映像作品上映など各種催しも盛んに行われていた。
’ 92年7月~8月の第18回公演『香ル港』では、映像の浜嶋将裕が、舞台全体の同ポジション撮影の再映写(事前に撮影した同画角映像を、実際の舞台や役者の実体に重ねることで生まれる差異の視覚効果を狙った演出)を着想。プロジェクションマッピングのはしりであるこの手法を「同ポジ」と呼び、以降の天野演出に欠かせないものとなる。また、この公演より現在も天野作品の舞台美術を手掛ける小森祐美加が参加。同年11月には、七ツ寺共同スタジオ創立20周年+少年王者舘創立10周年記念企画として、少年王者舘+てんぷくプロ+維新派 合同公演『高丘親王航海記』(原作:澁澤龍彦/脚色・演出:天野天街)を名古屋の「白川公園野外特設劇場」で上演。〈維新派〉との2度目の合同公演は、キャストだけでも50名を超える大掛かりなものに。澁澤龍彦の遺稿を一大スペクタクル演劇として立ち上げたこの作品は各界から大きな注目を集め、後の入団希望者にも繋がった。
そして’ 93年6月頃、〈少年王者舘〉初のオーディションを実施。虎馬鯨、夕沈、中村榮美子、喇叭太郎、水否、水璃ミリィ、ちりちりん、土本広海、戸崎数子(音響)、美術/服部恵美子、橋本純子、和多久美子の12名が入団。同年8月の第19回公演『キニエリ』再演(作・演出:すうどん)は、オーディションメンバーを中心としたニューフェイス公演として上演。また、この年の11月には、平成5年度愛知芸術文化センターオリジナル映像作品『トワイライツ』を撮影。天野が初監督を務め、王者舘メンバーや関係者総動員となったこの映画は、第41回オーバーハウゼン国際短編映画祭グランプリ、第44回メルボルン国際映画祭短編部門グランプリ受賞の快挙を遂げた。
‘94年2月~3月の第20回公演『ノン・シルヴァ』からは、白鷗文子が参加。この公演後、「台本が完成するまで次回公演の予定を組まない」方針を掲げ、この先約3年間に渡り〈少年王者舘〉は活動休止状態に。この間、天野は以下の外部作品の演出を担当。’ 94年5月、〈てんぷくプロ〉によるプロデュース公演『巷談風鈴横丁』(作:赤染歌丸)では、この公演を機に水谷ノブが入団。’ 95年3月、〈維新派〉のフルカワタカシが主演したCAMERA OBSCURE PRESENTS『FURUKAWA FOR SALE』を大阪で上演、翌’ 96年3月に名古屋でも上演。その途中、’ 95年5月には、野外ファッションショーの演出も手掛けている。舞台衣裳家・石田佳代子の作品発表会『Souvenir』にて、名古屋の「鶴舞公園 奏楽堂」を舞台に、〈少年王者舘〉〈てんぷくプロ〉〈プロジェクト・ナビ〉などの俳優陣がモデルを務めた。この催しより、小木曽千倉(照明家として各所で活動する傍ら、長年に渡り天野作品の照明も担当)が参加。そして’ 96年4月には、〈プロジェクト・ナビ〉の『最後の淋しい猫』(作:北村想)の演出及びチラシコラージュも。この公演では、入団したばかりの松宮陽子を客演で主演という大役に抜擢した。
「王者舘の公演がなかった時に、他の劇団の演出をやって知り合った人達が入ったりしました。『FURUKAWA FOR SALE』の時も、岩村吉純や、ゴロ、カナタニ美弥子らと知り合って、その人達が第2回オーディションの時にどっと来たり」(天野)
その第2回オーディションが行われたのが’ 96年6月で、山本亜手子、サカエミホ、篠田ヱイジ、カナタニ美弥子、ゴロ、田口大地、岩村吉純、丹羽純子、松田あみ、アア・イイナ、古川万里の11名が入団。しかし、本公演に向けての台本執筆は進んでおらず、天野は休養状態の中、バルボアが演出を務め、第21回公演『御姉妹』再演を’ 97年1月~2月に上演。第1回&第2回オーディションメンバーを中心にしたニューフェイス公演として、名古屋・東京で行われた。

◆第2期 1998年~2004年
’ 98年、遂に天野が台本執筆を再開し、3月に第22回公演『それいゆ』を名古屋・大阪・東京で上演。この公演より、制作助手としてはたのひろこが参加。実に4年ぶりの天野書き下ろし新作公演によって、第2期〈少年王者舘〉が幕を開ける。
「久しぶりの本公演だったから、出演者を出すだけ出して、22人の大人数に。ここからしばらく20人前後出る体制が続いて、書くのがより大変になりましたけど(笑)。杉浦胎兒、珠水、とろろ、田村英子以外はそれまでのメンバーから一新して、新人を含めた第2期のメンバーがだいたい固まって、新しい王者舘が出発したな、という感じがしました」(天野)
また、同年8月~9月には、〈少年王者舘KUDAN Project〉として『劇終ーOSHIMAIーくだんの件』を、台北・香港・名古屋・東京で上演。この公演を機に、天野の作・演出で小熊ヒデジ&寺十吾の二人芝居を上演する新たなユニット〈KUDAN Project〉が発足(前身は’ 95年8月に『くだんの件』を上演した〈キコリの会〉)。以降、天野は王者舘と並行して〈KUDAN Project〉の活動も継続している。『それいゆ』以降も本公演や番外公演をコンスタントに行いつつ、天野の外部演出、劇団員の他劇団客演や個別活動なども数々行われていった。2000年8月~9月の第25回公演『自由ノ人形』再再演より、日与津十子が参加。同年10月~11月と’ 01年1月には、少年王者舘+ジャブジャブサーキット 合同公演『8月の南瓜と12月の西瓜とケンタウリ』(作:はせひろいち/演出:天野天街)を東京・名古屋・大阪で上演。
また、’ 01年7月には、新宿・花園神社内で上演された〈流山児★事務所〉テラヤマプロジェクト『書を捨てよ、町へ出よう ~花札伝綺~』(作:寺山修司/構成演出:流山児祥)に、天野が映像監督として初参加。〈流山児★事務所〉との本格交流が始まり、現在に至るまで数々の作品の演出や映像監督、チラシコラージュなどを担当。同年8月~10月の第26回公演『コンデンス』より黒宮万理が参加。映像助手として雪港が参加(後に役者デビュー)。11月には、愛知県文化振興事業団プロデュース 第1回AAF戯曲賞優秀賞受賞作『大熊猫(パンダ)中毒』(作:半澤寧子)の演出を天野が担当。出演者公募により、松久聖子、水元汽色、宮璃アリ、☆之が参加(後に全員入団)。
’ 02年9月の第27回公演『香ル港 2002』より、るが参加。制作としてひのみもくが参加(後に役者デビュー)。’ 03年9月~10月、『それいゆ』再演を名古屋・東京・大阪・高知で上演。この公演より、松久聖子、水元汽色、☆之が参加。’ 04年6月、夕沈が振付を担当するダンス公演『アジサイ光線』(構成・演出:天野)を名古屋で開催。以降、たびたびダンス公演も行われるように。
同年7月~10月には、〈ITOプロジェクト〉糸あやつり人形芝居『平太郎化物日記』の脚本・演出を天野が担当し、大阪・名古屋・広島で上演。初めて手掛けた人形劇が大好評を博し、以降多くの人形劇団から演出の依頼が相次ぐ。
「’ 98年以降は〈ジャブジャブサーキット〉と合同公演をやったり、別のところで演出をやってる時に、王者舘に入ったらいいな、という人を誘ったりして、劇団員が緩やかに増えたり減ったりしながら『百ヤジ』(以下参照)に繋がっていく感じですね」(天野)

◆2005年 節目の百人芝居~2022年
〈少年王者舘〉単体の公演ではないものの、非常に関わりが深く、壮大でエポックメイキングな催しとなったのが、’ 05年8月に行われたKUDAN Project『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』(原作:しりあがり寿/脚本・演出:天野天街)だ。構想から約2年半の準備を重ねて実現されたこの公演は、名古屋の愛知県勤労会館に於いて、4日間5ステージを展開した。〈KUDAN Project〉の主軸である天野、小熊、寺十がそれぞれ所属する〈少年王者舘〉〈てんぷくプロ〉〈tsumazuki no ishi〉から役者・スタッフの大多数が参加し、一般公募によるオーディション組やゲストを含めて161名が出演。スタッフ・関係者も含めると総勢300名以上の力を結集し、“ダレモミタコトノナイ”スペクタクル演劇を立ち上げた。この公演は、王者舘の歴史にとってもひとつの節目となり、この出演を機に入団した顔ぶれも。
’ 06年4月、夕沈ダンス公演『アジサイ光線』東京公演より小林夢二が参加。同年7月~8月の第30回公演『I KILLーイキルー』からは宮璃アリが参加。また、客演として参加した池田遼が公演を経て入団。’ 07年8月、第31回公演『シフォン』(作:虎馬鯨/脚色・演出:天野天街)より水柊が参加。’ 08年7月、第32回公演『アジサイ光線』より街乃珠依が参加。この頃より、現在も天野作品の音響を手掛ける岩野直人が参加。’ 09年7月~8月の第33回公演より、制作として藤田晶久が参加。
第33回公演『夢+夜』ダイジェスト映像 2009年7月〜8月、名古屋・京都・東京で上演
ダンス公演『スミレ超特急』ダイジェスト映像 2011年3月、名古屋で上演
また、’ 11年1月には、漫画家のしりあがり寿が新宿LOFTで’ 09年より毎年開催している、しりあがり寿 presents『新春!(有)さるハゲロックフェスティバル’ 11』に、天野が宣伝美術と演出で初参加。以来毎年参加し、劇団員も出演している。’ 14年8月~9月には、少年王者舘+tsumazuki no ishi 合同公演『寝覚町の旦那のオモチャ』(作:スエヒロケイスケ/構成・演出:天野天街)を東京で上演。’ 15年6月には、少年王者舘+パスカルズ ダンス公演『永遠の休憩』(振付:夕沈、池田遼/構成・演出:天野天街)を東京で上演と、他団体との合同公演も続いた。
‘16年2月~3月、第38回公演『思い出し未来』を名古屋・四日市・伊丹・東京で上演。この公演では劇中ゲスト枠として、すうどん、月宵水、石丸だいこ、マリリンマリィ、サムソン熊田、ルナリリナ、姫子、加藤千晶、松宮陽子、田口大地ら、かつて在籍していたメンバーが日替わりで登場するという豪華な趣向も。このゲスト出演企画は、月宵水、マリリンマリィらを活動再開へ向かわせ、月宵水は王者舘に復帰して’ 18年7月に東京で行われた番外公演『街ノ麦』より出演。これは、’ 93年に〈カトチの会〉として初演した同作を再構成し、新演出(原作:加藤千晶/脚本・演出:天野天街)を加えて上演した公演で、王者舘メンバーと共に、現在は音楽家として活動する加藤千晶率いる特別編成バンド〈街々ソックス〉と、シンガーソングライターの原マスミも生演奏で参加した。
そして’ 18年6月と12月には、’ 91年の番外公演『カオルミナト』以降、舞台活動を休止していたマリリンマリィが、東京と名古屋で舞踏のソロアクト『白紙の上のマリリン』を開催。この公演は、翌’ 19年11月に名古屋で行われた『ココニール ~Je suis la~』へと発展。王者舘初期メンバーである永澤こうじ、月宵水、石丸だいこ、マリリンマリィ、珠水の5人が集結し、個々のパフォーマンスを披露した。
第38回公演『思い出し未来』より 2017年8月、名古屋・四日市・伊丹・東京で上演  撮影:羽鳥直志
その後も、’ 17年8月に名古屋・東京・伊丹で上演された第39回公演『シアンガーデン』(作:虎馬鯨/脚色・演出:天野天街)より岩本苑子が参加、久々に役者復帰した篠田ヱイジも名古屋公演のみ出演。同年11月に名古屋で上演された番外公演『人工恋愛双曲線』(原作:小酒井不木/脚本・演出:天野天街)でも、久々に役者復帰したカシワナオミが参加。また、’ 16年11月に「四日市市文化会館」が主催する《YONBUN DORAMA COLLECTION 2016 総合演劇ワークショップ》の講師を天野が担当し、このWSに参加して発表公演『雪をわたって~月の明るさ~』に出演した近藤樺楊が後に入団、前述の『街ノ麦』より参加している。
第39回公演『シアンガーデン』より 2017年8月、名古屋・東京・伊丹で上演  撮影:羽鳥直志
こうした復帰組も含む新旧メンバーが集結し、’ 19年5月には《新国立劇場 2018/2019シーズン 演劇ラインアップ》作品として、天野の書き下ろし新作『1001(イチゼロゼロイチ)』を新国立劇場 小劇場で発表。同劇場による劇団としての招聘は2003年の維新派『NOCTURN』以来となる異例の公演に、客演やオーディション組を含む38名の大所帯で臨み、連日盛況を博した。また同年12月には、ダンス+α公演『アサガオデン ~劇場版~』(振付:夕沈/落語台本:河井克夫/演出:天野天街)を東京で上演。
その後の公演予定として、当初は’ 20年8月に、天野天街 作・演出による新作本公演『むげん』の東名阪三都市公演を行うはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大状況を鑑みて、現在は無期延期状態となっている。
近年の作品について天野は、「【量子論的】な作品が増えていきました。『1001』で集大成的なことをしましたが、それ以降ほとんど公演が出来なくて、いろいろな想念やアイデアが溜まりに溜まっています」と語り、今後については「新劇団員と共に、かつて誰も体験したことのない【3.5次元エンゲキ】を創っていきたいと思っています」と抱負を述べた。
上記の通り、〈少年王者舘〉としての公演は『アサガオデン ~劇場版~』以降行われていないが、先日、2022年5月3日(火)~5日(木)の3日間に渡り、劇団員が出演する公演で《ストレンジシード静岡》(静岡市の街を舞台にした、パフォーミングアーツの祭典)に参加することが、公式サイトで発表された。
公演の詳細については現時点では決まっていないため、今回のオーディション通過者の出演も未定とのこと。尚、王者舘メンバーは東海、関東、関西など各地に居住しているため、稽古及び公演期間に集合が可能であれば応募者の居住地は問わず、オーディション会場も希望の都市を選択することができる。今後の〈少年王者舘〉で、役者でも、美術でも、音楽でも、映像でも、照明でも、制作でも、彼らの仲間に加わり何かやってみたいことのある方は、下記ご参照の上、ふるってご応募を。
文=望月勝美

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