「沖縄・復帰50年現代演劇集 in なは
ーと」は沖縄の歴史を若者に伝えるだ
けでなく、沖縄の現代演劇の今を県内
外に発信していく機会

沖縄がアメリカから日本に復帰して50年。さまざまなジャンルで関連の催しが実施されている。かく言う私も今年最初に観た舞台が、1970年に、米兵が住民を車ではねたのを機に市民が米軍関係者の車を次々と焼き払ったコザ騒動を題材にしたものだった。この「復帰50年」に合わせるかのように開場した那覇文化芸術劇場なはーとで、「沖縄・復帰50年現代演劇集」という企画が実施される。参加する3劇団、劇艶おとな団の当山彰一、劇団ビーチロックの新井章仁、劇団O.Z.Eの秋山ひとみ、そして、なはーとプロデューサー・崎山敦彦の4氏による座談会を行った。

――この企画の発案者である、当山さんからまずは口火を切っていただけますか。
当山 実施にはさまざまな理由があるんです。県外の演劇関係者の皆さんと交流すると、必ず「沖縄の劇団はなぜ戦争を扱った芝居をつくらないのか」と聞かれていたんです。沖縄戦を描いた作品は先輩方がやられているけど、たしかに僕らのような戦争を経験していない世代がそれをどう描いたらいいか、ずっとモヤモヤしていました。そのときにふと、沖縄がアメリカから日本に復帰したことは経験している、このことなら描けると思ったんです。それで創作したのが、僕が主宰する劇艶おとな団が2015年に上演した『9人の迷える沖縄人』でした。さまざまな世代、さまざまな立場の人間が復帰について考えるという物語でした。僕は割と県内の芝居を見歩いているのですが、この公演の後、劇団O.Z.Eさんの『72’ ライダー』、劇団ビーチロックさんの『オキナワ・シンデレラ・ブルース』、TEAM SPOT JUMBLEさんの『SELECT!』と沖縄騒動、復帰を描いた作品に出会えた。それでいつか、僕らの世代も、出身や経験、背景は少しずつ違うけれど、これらの作品を同じ期間に上演することができたらと思ったんです。
劇艶おとな団、当山彰一
――2022年に射程を合わせて動かれていたわけですね。
当山 そうです。復帰50年に合わせたイベントが県内外で行われるであろうことは予測できていたし、僕らが何もしないことも嫌でした。また僕は専門学校で教鞭をとっているのですが、若い人たちは復帰のことをびっくりするくらい知らないんですよ。沖縄の子たちが昔は沖縄はアメリカだったと知っては驚き、「アメリカと仲が良いから基地がたくさんある」と言ったりする。そういう状況を見ていて、復帰を経験している世代だけが当時を振り返るのではなく、次の世代にもこの歴史を伝えなければという思いが湧いたんです。そのちょうどいい年に那覇市に「なはーと」という素晴らしい劇場ができることが決まっていたので、崎山さんとお会いするたびに耳元でささやき続けて、実現に至ったわけです。
劇艶おとな団 『9人の迷える沖縄人』
劇艶おとな団 『9人の迷える沖縄人』
崎山 われわれ劇場側も当然50周年は視野に入れて動いていて、那覇の劇団のこともリサーチしていました。当山さんとは準備室のころから、劇場のある久茂地地区を描いた演劇をつくっていただいた経緯などもあり、いろいろ話し合う中、「それはもうなんとかやろうよ」ということで時期が決まり、劇団のセレクトをお任せしたんです。
――新井さん、秋山さんはそうした提案についてどのように思われたのですか。
新井 劇団ビーチロックの『オキナワ・シンデレラ・ブルース』は、復帰から1年を経た沖縄を舞台に、閉店を迫られたお店で働く女の子がスカウトされて東京の芸能界に行くというシンデレラストーリー。2017年初演です。沖縄の人びとのたくましさ、東京に行った女の子の様子が、外からどういう眼差しで見られたかを表現した作品でした。時代設定は復帰直後ですが、直接的に復帰を描いた作品ではなかったので、当山さんに確認したところ「時代を描くことで必ず現代に生きるわれわれが考えるきっかけになる」とおっしゃっていただいたため、参加させてくださいとお願いしました。
劇団ビーチロック 『オキナワ・シンデレラ・ブルース』
劇団ビーチロック 『オキナワ・シンデレラ・ブルース』
秋山 私は劇団O.Z.Eの俳優兼制作です。当山さんからお話をいただいて脚本・演出の真栄平仁に相談したところ「ぜひ」ということになりました。『72’ ライダー』は1973年に国会議事堂にバイクで突っ込んで亡くなられた上原安隆さんの事件を題材にした作品です。コザ暴動のシーンがあったり、当時の沖縄の方がどういう思いだったかを描く一方、2022年に50歳になった人びとの同窓会の二次会と時代を行き来することで、等身大の今の沖縄が見えてくるんです。2012年の復帰40年の際に初演した作品で、再演できるうれしさもありましたが、現在に成立するのかという不安もありました。また10年前と何も変わっていない現実に対する複雑な思いもあったんです。
劇団O.Z.E 『72’ライダー』
劇団O.Z.E 『72’ライダー』
――新井さんも秋山さんも沖縄に移住していらした方々です。「復帰50年」はどんなふうに受け止めていらっしゃるのでしょうか。
新井 僕は大阪出身で、沖縄に移住して約20年になります。本当は東京で就職する予定でしたが、大学の卒業旅行で沖縄に来て、いろいろな人と出会い、沖縄の素晴らしさに心を打たれて、入社2日前に内定を断ったんです。若気の至りで始まった沖縄生活ですが、この地で根を張っていくことでできることがあると思い、今は死ぬまでここにいるつもりです。復帰のことは沖縄に来て、いろいろな方と交流する中で知りました。復帰後の初代沖縄県知事のことを描いた『屋良朝苗物語』というお芝居をつくることになり、僕は演出助手と映像制作で携わりました。その際に資料をたくさん調べ、激動の時代を目の当たりにしたんです。じゃあ自分の劇団では何ができるか考えて『オキナワ・シンデレラ・ブルース』をつくりました。当時を経験されている皆さんと比べれば、僕にとって距離がある題材です。でもそれではいけないと思っているし、もっと知るためにも演劇をやっているんだと思います。そして自分たちの言葉や若い劇団のメンバーの存在を通して、お客様に沖縄の歴史を伝えていく必要があると感じています。
劇団ビーチロック、新井章仁
秋山 私が沖縄に来たのは、社会人になってから年に2、3回旅行で来るようになって、あるときに「帰りたくない」と思ったためです。高校、大学でやっていた演劇も社会人になって止めたのですが、またやりたくなり、「沖縄でやればいい」と単身でこちらにやってきました。沖縄に来て10年になります。私にとって沖縄戦や復帰の話はもう終わったことでした。『72’ ライダー』は沖縄に来て2年目、2回目の公演だったんです。劇団員で復帰について学ぼうということになり、米兵が起こした事件やヘリコプターの墜落などの事件を知り、まだまだ歴史が続いているんだ、現代の話だったんだとショックを受けました。私は沖縄に生まれてはいないし、どうしても埋められない壁がある。演劇をやればやるほど、歴史を学べば学ぶほどそれを感じます。でもそういう私だからこそ伝えられるものがあると思うようになりました。たぶん沖縄に住んでいても演劇をやっていなかったら「50年おめでとう」と言ってる自分がいたと思います。
劇団O.Z.E、秋山ひとみ
――皆さんのお話を伺っていると、まさに演劇という表現手段だからこそ、できることがあるという力強さが伝わってきます。
崎山 それは演劇的な文脈にいる人間にとっては当たり前のことですが、沖縄でよく見られるエンターテイメント、パフォーマーから演劇的なものをつくり上げていく系譜の中では、同じことを表現していても立ち位置が違うんですよね。だから先ほど10年前にやった作品が現代に通用するのかという話もありましたが、演劇人はまさしくそこに問題を投げ掛けて、社会との接点をどうするのか常に考えているもの。演出家は10年、20年後も風化させないことを前提につくっている。だから再演は必然です。それが今回はある意味で偶然にみんなが一つの目的に集まって実施される。私はこれは面白いと勝手に思ってるんです。
当山 地域で頑張っている劇団を集めたいと思ったきっかけは、1989年に本多劇場で見たつかこうへいさんの『広島に原爆を落とす日』でした。筧利夫さん、池田成志さん、羽場裕一さん、加納幸和さんらとんでもなメンバーが出演していた。集まるってすごい力になるんだということを体感して、いつか沖縄でもやってみたいと思っていたんです。県外の人から「沖縄に現代演劇はあるの?」みたいなこともよく聞かれたんですけど、いやいや現代演劇は頑張っているし、大勢の人たちが活動していることを伝えたかったんです。公演する団体は3つですが、客演や制作を含めると沖縄にある13団体の方たちが集ってくれました。なはーとから沖縄の今を発信できることは、すごくうれしく思っています。
「現代演劇集 in なはーと」記者会見の様子
崎山 これを何らかのきっかけにしようということは、当初からの共通の思いでしたから。最初は「演劇祭」と名づけられていたんですよね。でも「これは祭りじゃないよね」という話になり、「若者に見せたいのならフェスティバルでもいけるのでは」「いや、これは沖縄にとって祭りじゃないよ」と議論があった。それで最終的に「演劇集」という名前になった。そのへんのことは皆さんはどういうふうに考えたのですか? そこにヒントがありそうだと思うんです。
当山 演劇祭と名づけたのは僕です。「50周年」という言葉はもともと使う気はなく、「50年」にしたんです。でも演劇祭も「祭」はお祝いするムードの印象が強いからダメなのかな、慰霊祭という言葉もあるよななどと考えました。ただなるべくいろいろな立場の人に受け入れてもらえるようにと「演劇集」を選びました。これは全体で話し合ったんです。それに「演劇集」なら来年もできるんじゃないかなって思ったりもしていますね。
那覇文化芸術劇場なはーと、崎山敦彦
崎山 沖縄の現代演劇が近年盛り上がりを見せています。演劇は現代を映す鏡として社会性をしっかりと担保しながら、エンターテイメントとしてどうお客様とつながるか、これを実現するのもなはーとの使命だと考えてます。沖縄の現代演劇はこんなにすごいんだよ、面白いんだよということを伝えていかなくちゃいけない。お客様には今ある考え方やエネルギーを見てもらい、感動したり、考えたり、「なんかわかんねーけど突き刺さった!」みたいな体験をしていただいて、この文化を続け、広げていくことが大事だと思うんです。全国が注目するような地方の創造型劇場をつくるのが私の夢です。でもそれは一人じゃできない。作品あってのことです。そこは皆さんの力を借りながら、次にどういう「集」にするか考えていきたいと思います。
――最後にそれぞれの野望を聞かせてください。
新井 僕たちは普段、名護市を拠点に活動しています。この機会に名護の劇団がやっていることを那覇の皆さんに伝えたいという思いがあります。そして『オキナワ・シンデレラ・ブルース』は劇団員のほかに、県内の劇団からゲスト出演してもらっています。また戦後からウチナー芝居をされている女優さんから若手の役者が方言を指導していただく挑戦もしています。そんなふうにこれから横に、縦につなぐ役割ができればと思っています。
秋山 本番前にチケットが完売するぐらい、沖縄の演劇が浸透してほしいと思っています。だって県外から来る公演は完売するんですよ。このお客さんたちはいったいどこから出てきたんだろうというくらい。沖縄の芝居は、決して県外のお芝居に負けてはいないと思います。そのことを地元の皆さんに伝えていきたいんです。
当山 この「演劇集」に付随して行われる高校生の皆さんを対象にしたワークショップ(4/21〜4/22)も含め、この企画は決して一人ではできないもの。たくさんの方々に関わっていただいたからここまで来れたんです。繰り返しになりますが、だからこそ「沖縄の現代演劇はこれだけ盛り上がっているんだよ」ということを県内、県外に伝える機会にしたいと思います。
左から劇団ビーチロックの新井章仁、劇団O.Z.Eの真栄平仁、劇艶おとな団の当山彰一
取材・文:いまいこういち

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